スタジオ・ジブリの作品が映画館で再上映されている。この機をとらえて「風の谷のナウシカ」をみに行ってきた。新型コロナの第2次感染が広まる中、映画館の中も閑散としている。折から九州を中心に集中豪雨が猛威をふるっている。チケット販売機の座席表は1席おきにクローズド。「新しい生活様式」が座席表を通して伝わってくる。そんな配慮を無視するかのように館内はガラガラ。ウィークデーで雨模様の天気とはいえ、これではいつまでたっても映画館は赤字だろう。映画をみる前にポスト・コロナの先行きが心配になってくる。経済活動は始まったものの、ウイルスの脅威に犯された日常生活が元に戻るのはいつのことか、久しぶりの映画館でまず現実の厳しさを実感する。
森の奥に広がる「腐海」。ナウシカが腐海の中を楽しそうに走り回る。1000年前に起こった火の戦争のあと地球は、猛毒の菌類が蔓延るようになり腐海は徐々に広がっている。それを食い止めようと巨大王国のトルメキア軍と都市国家・ペジテが覇を競う。トルメキア軍が最強の兵器・巨神兵に覇権を託せば、劣勢のペジテは腐海をまもる巨大なオームをけしかけ、“怒りの暴走”に一縷の望みを託す。まるでコロナウイルスを間に挟んで対立する米中の覇権争いをみるようだ。猛毒の菌に犯される地球、それを退治すべく武力に頼る超大国。どちらも腐海退治という“正義”を錦の御旗として掲げている。だが、その正義がいかに愚かなことか、誰も気がつかない。これがこのファンタジーにこめた宮崎駿監督兼作者の“思い”だろう。その思いは明らかに時代を超えている。
愚かな両大国に挟まれながら、ナウシカだけは腐海の真実にいち早く気が付く。気が付くというよりは族長の娘として生まれたナウシカは最初から腐海の真実を知っていたのかもしれない。傷ついた幼いオームを助け、不快の毒を培養しながら腐海と共存している。人類の敵である腐海。だがその腐海の奥底で猛毒に汚染された地球の水や土が浄化されている。なんと腐海は究極のカタリシスなのだ。エンディングでナウシカは、金色に光り輝くオームの触手に支えられながら空中を凱旋する。ここで目が見えない大ババが古くからの言い伝えを呟く。「その者青き衣をまといて金色の野に立つべし。失われし大地と絆を結び、人々を青き清浄の地に導かん」と。救世主の誕生である。啜り泣く声がまばらな館内に静かに広がっていた。
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