潰瘍性大腸炎の再発で辞任を表明した安倍首相。辞任表明後の安倍首相に対するメディアの評価とポスト安倍をめぐる政局を遠くから眺めていると、日本のメディアの多くが安倍政権のレガシーについて正確に報道してないことに気が付く。もちろん政権だから負の遺産も多い。だが、正の遺産であるレガシーについて真っ当な評価ができないとすれば、メディアから大半の情報を得ている日本人の大半もまた安倍政権の実績について正当に評価できないことになる。個人的には安倍政権の3分の1は評価するが、アベノミクスに象徴される経済政策、モリカケ、桜を見る会、消えた公文書など残りの3分の2は評価しない。それでも国際政治や日本政治史における安倍政権の果たした役割は評価したいと思う。一言で言えば「地球儀を俯瞰する外交」、この表現に安倍政治の目指した数少ない正当性が隠されていると思う。

コロナウイルスの影響で国際交流の流れが止まっているが、グローバル化した世界がポスト・コロナで閉鎖社会に戻るわけではない。世界はいずれヒトもモノもカネも、激しく行き交う世界になるだろう。コロナ以前から国際的視点でものを見ないと正しい判断はできなくなっていた。だが、世界の経済大国にのし上がった日本人はいつの間にか、日本を中心に世界を眺めていなかっただろうか。勤勉な日本人、手先が器用でアイデアに溢れた日本人、物作りをさせれば世界に冠たる先進国と言われてきた。良いものを安く作る能力に長けた日本人は、 他の追随を許さないトップランナーだった。こうした実績にあぐらを描きながら日本は“視野狭窄症”に陥っていなかっただろうか。強いものには弱く、弱いものには強い。恒久平和を錦の御旗に時にはへり下り、時には傲慢に振る舞ってきた。それが常識だと多くの日本人は思ってきた。

時が流れ、時代は進む。グローバル化で国際社会は丁々発止、相手との駆け引きが優先される時代に変わってきた。友好国、敵対国にかかわらず、世界の動向を見据えながら進む以外に道はない。おそらくそれが「地球儀を俯瞰する外交」だったのだろう。その意味で安倍外交は日本の行く末に一つの明確な道筋を示したと言えるのではないか。辞任に関連して中国の民衆はSNSで即座に安倍首相に比較的好意的な反応を示したと、中国ウォッチャーの中島恵氏が書いている。America Firstで縮こまるトランプ政権を相手に安倍首相はTPP11をまとめ、「世界に開かれた貿易」を守ろうとしてきた。これ一つをとってもこの政権は、これまでのどの政権に比べても頭ひとつ抜き出ていた。その後継をめぐる政局は管官房長官で決着する。不満・批判、反論・異論はいろいろあるが、安倍氏を超える存在がいない以上、安倍政権の継続を意味する「管政権」の誕生は歴史の必然と言っていいのではないか。