フィンランドのサンナ・マリン首相(34)が話題になっている。朝日新聞(デジタル版)によると「胸の谷間がうっすら見えるジャケット姿で雑誌に登場したことが、思わぬ波紋を広げている」のだそうだ。同紙は「一部のソーシャルメディアで『下品』『不適切』と批判される一方、男性政治家は半裸でも同様の批判が起きないため、『女性差別だ』と指摘する声もある」といつもの両論併記。肝心なことになると中立を装って逃げるメディアの悪い癖は日本だけではないようだ。個人的には直感的には「悪くない」と感じた。無理を承知であえて言えば、「雑誌の中だけでなく、国会の答弁にこの姿で登場したら面白い」と思ったのだが、そこまでいうのは悪ノリか。記事の最後にタイムズ紙の男性評論家のコメントが載っている。「服の下が裸なことくらいで物議を醸すのはおかしい。私もパンツの下は裸だ」。粋なコメントに座布団1枚。

英テレグラフ紙の女性コラムニストのコメントにすべてが集約されている。「政治家に公職に合った格好を期待することは問題ないが、男性の半裸やだらしない姿に私たちは肩をすくめて笑うだけなのに、女性にはより高い水準を求める」と。要するに男性社会にさりげなく存在する差別意思というやつだ。ロシアのプーチン大統領が裸で寒中水泳をする姿が報道されても誰も何も言わない。英国のジョンソン首相は「花柄の赤い短パン姿で真冬にジョギングする」そうだ。そんな大統領や首相の姿を見ても、どのメディアもおそらく反応しないだろう。日常生活にさりげなく張り付いている男社会のごく当たり前で、ありふれた風景だからだろう。それが女性となるとすぐに差別にっ直結する。セクハラやパワハラに気がつかない男性はゴマンといる。かくいう私も現役時代はそうだった。

サンナ・マリン首相、写真をみると魅力的な女性だ。34歳、若い。ちょっとした冒険心だろうか、素肌にジャケット、「谷間がうっすら見える」写真に多くの男性も女性も惹きつけられる。ネットでは「マリン氏と同様の格好をした自分の写真をつけてインスタグラムに投稿」(朝日新聞)する女性が増えているという。雑誌に掲載しただけでこれだけの騒ぎになるのだから、街中や議会で同じ格好をしたらそれこそ大騒動になりかねない。もちろんジョンソン首相も議会に「花柄の赤いパンツ」で登場することはないだろう。喧々轟々、生き馬の目を抜く政治の世界、プライベートの生活では息抜きも必要だろう。何が問題なのと思う。半面、よく知らない北欧の若き女性宰相に、「谷間がうっすら見える」写真1枚で興味を感じる極東のオヤジ1人、これも社会の底流に連綿とながれている差別意識の現れだろうか・・・。