菅首相の初めての所信表明演説が昨日行なわれた。メディアの扱いは相変わらず斜に構えた批判的な論調が多い。例えば、朝日新聞デジタル。「並ぶ改革案、乏しい具体策 所信表明で説明避ける姿勢も」と上から目線。産経新聞(デジタル版)」は「『動員』から『提供』へ 国民への姿勢、際立つ菅カラー」とやや前向き。どちらが真実をより良く伝えているか、それは読者の判断。読む人、見る人、聞く人によって判断は分かれる。時事通信によると所信表明の文字数は約7000字。平成以降の所信表明演説の平均7003字とほぼ同じ分量だという。文字数で見る限り標準ということか。個人的にはこの演説の肝は「2050年に温室ガスの排出量をゼロにする」と宣言したことにあるとみる。世界の潮流に向けてようやく日本も動き始めた。どうしてこんなことが出来なかったのだろうと思う。
産経新聞のサイド記事が面白かった。「際立つ菅カラー」の見出しの記事だ。第2次安倍内閣発足直後の所信表明演説で「自らへの誇りと自信を取り戻そうではありませんか」と呼びかける文言が6カ所にちりばめられていたという。今年1月の施政方針演説ではこれが8カ所に増えた。「安倍氏には自らが理想とする社会を築くため、言葉で国民を動員しようとする意欲があった」と指摘する。これに対して菅首相。「国民のために働く内閣」を標榜、「国民は巻き込む対象ではなくサービスを提供する相手だという認識が垣間見える」という。理念を実現するために言葉によって国民を巻き込むのではなく、国民は国が提供するサービスの受給者と捉えているという指摘だ。どちらが良いか、悪いかではない。政治家にも個性があるということだろ。
メディアや野党が期待する日本学術会議への言及は一言もない。これもまた菅首相の特徴と言っていい。所信表明演説で取り上げるような問題ではないという認識なのだろう。批判派、反対派は「学問の自由の侵害」と怒りをあらわにする。山極寿一・日本学術会議前会長は朝日新聞紙上で「着実に全体主義への階段上る」と批判する。個人的にはメディアも反対派も「大袈裟で針小棒大だ」と、ことあるごとに感じている。集団的自衛権を拡大した安保法改正案は「戦争法案」であり、政治家がメディアの表現を問題にすれば「報道の自由への介入」、任命拒否は「学問の自由の侵害」だ。理念の違いは対立を必要以上に増幅する。なおかつ結果的には非生産的なことが多い。菅首相はそれを承知のうえで、あえて実績で攻めようとしているのかもしれない。「排出量ゼロ」は実績型、「自然が循環する国家」といえば理念型。たいした違いはない。
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