大阪維新の会が10年越しで推進してきた都構想が敗北した。5年前の前回同様僅差の敗北である。住民投票で敗北すれば政界を引退すると表明していた維新の代表でもある松井大阪市長は、任期満了をもって政界を引退すると表明した。維新の会は創業者2人を引退に追い込んだことになる。この結果をどう受け止めるか、何年か後に振り返った時に答えは明らかになるのだろう。それよりテレビや新聞、ネットでこれに関連した報道を見ながら面白かったのは、日経新聞に掲載されていた「皮肉な結果」(砂原庸介・神戸大教授)という見方である。同教授は「大阪維新の会が一定の実績を上げている現状への満足の裏返し」だと指摘した。満足の裏返し?ではなぜ松井市長は政界を引退するのだろう。政治家が公約した以上当たり前だが、それにしても政治家とは因果な商売である、そんな気がした。

朝、TBSのグッとラックに橋下氏がコメンテータとして出演していた。敗北の弁を聞いて「皮肉な結果」の意味を理解した。都構想は当初、当時の市長だった平松氏と府知事だった橋本氏の対立からはじまる。若干38歳で府知事に当選した橋下氏は赤字財政で四苦八苦していた大阪府の大改造に着手する。日教組や自治労との対立は当時メディアで華々しく取り上げられた。府政改革にメドをつけた橋下氏が次に取り組んだのが府と市の二重行政の解消である。注目すべきはこの時点で府と市は相入れることのない敵対的な関係にあった。橋下氏のもとで維新の会は大阪で急激に勢力を拡大する。その結果、府も市も維新の会がトップになり、二重行政は実質的に解消したのである。有権者はこのプロセスを無視する。「反対が上回ったのは、都構想が現状を改善するという主張を信じきれない市民が多かったからだ」(砂原教授)」。なんのことはない。改善された現状に多くの市民は満足しているのである。

若い人が都構想に反対票を入れたと言われる。若い世代の保守化が指摘され久しい。その流れかと思いきや、どうもそうではないようだ。橋下氏はテレビで以下の趣旨の発言をしていた。「平松市長の時代だったら二重行政の解消は評価されたと思う。維新の会が頑張って二重行政が実質的に解消されたいま、若い人は不便を感じなくなっている。いまさら二重行政解消と言われてもピンとこないだろう」と。これが事実なら維新の会の代表でもある松井市長は、自らの努力の結果一丁目一番地の看板政策で敗北し、政界引退を余儀なくされることになる。なんとも“皮肉な結果”ではないか。橋下氏はその松井氏について「本人は心底政治家をやめたがっている」とコメントする。本人にとっては心地よい敗北なのかもしれない。大阪府の都構想は幕を閉じるが、これによって大阪市にととまらず大都市の構造問題が解消するわけでない。まだまだ多くの“皮肉な結果”が必要な気がする。