米国の大統領選挙や日本学術会議問題などを眺めながら思うのは、「本当の異端は誰か?」ということだ。こんなことを考える自分自身が時代に取り残された異端のような気もするし、熱狂的なトランプ支持者もバイデン支持者も、はるか先の未来から振り返ってみれば壮大なる異端だったということになるのかもしれない。日本国内を振り返れば、与党に野党に学識経験者やメディアなどなど、どこもかしこも自分の正統性だけを主張するアンチ異端派だらけだ。本当の正統派は時代の荒波の中で、時に異端と蔑まれることもある。織田信長も最初は異端だった。楽市・楽座なんて当時の時代背景の中では、とんでもない異端の説だったと思う。ガリレオ・ガリレイは「それでも地球は動く」と異端審問所で静かに主張した。異端が正統と評価されるまでには、想像を超える時間が必要になる。

では誰が正統で、誰が異端なのか。正確に把握するためにはまず「異端とは何か」、定義を明確にする必要がある。簡単ではない。とりあえず安直にググってみる。トップに記載されているのはOxford Languagesによる定義。異端とは「その世界や時代で正統とする信仰や思想などから、はずれていること」とある。米大統領選挙で言えば現行の選挙システムは正統であり、1週間経っても敗北を認めないトランプは、多数が「正統とする信仰や思想」から外れたとんでもない異端ということになる。バイデン次期大統領はとうとう「恥ずべきことだ」とトランプを非難した。非難というより、軽蔑したと言ったほうがいいかもしれない。バイデンの発言は正統なのだ。トランプといえどもこれをもってバイデンを非難することはできない。問題は正統が異端になり、異端が正統になるという歴史的事実だ。

個人的に異端を意識するようになったのは約1年半前。当時注目を集めていた現代貨幣理論(MMT)について麻生財務大臣が、「異端の経済学」と切り捨てたことだ。こうした見方は麻生氏だけではない。世界中の既成勢力(主流派)の一致した見方だ。だがコロナ禍で世界中の国々が国債の大量発行に踏み切った。バイデンの経済政策の柱でもあるインフラ投資、環境対策には膨大なカネがかかる。失業者が増大し、企業業績が悪化する中で経済対策を賄う財源をどうするか、ちょっと考えただけで正統派の論理は行き詰まる。富裕層への増税だけで賄えるとはとても思えない。MMT推進者であるけるケルトン教授は近著で「オバマはたくさんの約束をしたのに、結局実現したのはごくわずかだ」という有権者の声を引用している。甘言を弄するだけでは正統とはいえない。「現実の矛盾を鋭くえぐり出し、異端の称号を恐れない人」、ひょっとするとそれが本当の異端かもしれない。トランプはまだ本当の異端になり切れていない。