菅首相と公明党の山口代表はきのう、75歳以上の後期高齢者に適用される医療機関での窓口負担について、「年収200万円以上を対象とする」ことで一致した。対象となる高齢者の負担は1割から2割に引き上げられる。対象者は約370万人に達すると共同通信が伝えている。実施時期は22年10月をメドにこれから調整する。後期高齢者の窓口負担については一定の収入を基準に引き上げることが、安倍政権の時に決まっていた。問題は一定の基準をどうするか。自民党は170万円、公明党は240万円を主張、両党が譲らないままトップ会談に持ち越されていた。来年度の予算編成にあたって決めなければいけないことを決めたというっていどの案件だが、両党トップによる首脳会談をあえて開くということが、この問題のある意味での深刻さを象徴しているのだろう。

安倍政権時代に取り組んだ「全世代型社会保障改革」の基本理念は、幼児教育などを無償化する半面、高齢者の社会保障負担を段階的に引き上げていくというものだ。背景にあるのは団塊世代の後期高齢化入りに連れて激増する社会保障費の圧縮である。財務省の試算によると社会保障費は2018年度ベースの実績が121兆円。2025年度以降上昇カーブが鋭角的になり、2040年度には190兆円に達すると見込まれている。18年度ベースに比べて増える70兆円をどうやって抑え込むか、これが政府・与党、高級官僚など主流派の一致した認識である。これに大半のメディアが同調している。同調というよりは何も考えないまま政府・与党の見解に追随しているといったほうがいいかもしれない。個人的にはここに大きな認識の齟齬があると考えている。社会保障費が増えるというのは、少子高齢化が進行している中では当たり前のことである。

政府の負担が増えるということは、それだけ需要があることを意味する。社会保障改革を通して政府はこの需要を抑え込もうとしている。ここにアベノミクスの致命的な間違いがある。増える需要を抑え込むのではなく、医療体制や予防医学など医療の供給体制を需要に合わせて増やすべきなのだ。新型コロナで医療が逼迫している。増やすべき供給を押さえ込んできたのだから当然の帰結でもある。なぜこうなるのか、首相をはじめ主流派の最大の関心事が「財政再建路線の堅持」にあるからだ。これが医療の逼迫を作り出してきた。今朝配信されたロイターの記事によると、ノーベル賞を受賞した経済学者、ポール・ミルグロム氏は9日、新型コロナで「医療や社会的支援を提供する公共部門の役割に対する米国民の懐疑的な見方が抑制される可能性がある」と述べた。政府より市場、規制より自由といった考え方が変わると指摘しているのだ。日本もこれを機に社会保障改革をはじめ経済・財政運営の視点を変えるべきだ。