個人的なことだが、経済成長は追求すべき最大のテーマだと思っている。思っているというか、もっと有り体に言えば信じている。いや、それも正確ではない。信じていたと言った方がいいかもしれない。少子高齢化が進み、社会保障を含め現役世代の負担はこれからますます重くなる。そんな中で経済が成長しなくなれば、社会保障の財源は誰が負担するのだろう。パイを大きくしない限り、現行の社会保障政策は破綻し、貧富の差は拡大する。どんな状況になろうと成長を諦めるべきではない。いまは財政再建などといっている場合ではない。成長基盤を整備し、将来世代の不安を取り除くことにエネルギーを傾注すべきだ。財源は国債で賄うしかない。MMTが理論的にそれを支えている。何も懸念することはない、そんな思いが頭の中で蠢いている。コロナ禍もそれを支えている。正直そんな思いだった。

・・・が、最近話題の「人新世の『資本論』」を読んで事態が急転しはじめた。サブタイトルには「気候変動。コロナ禍…。文明崩壊の危機。唯一の解決策は潤沢な脱経済成長だ。」とある。著者の齋藤幸平は世界中のマルキストが見向きもしなかった後期マルクスの著作を発掘、その中にこれからの人類の未来を占うヒントが隠されていたと強調する。ひとことで言えば、「脱経済成長」路線に軌道修正した方が、人類の未来は「潤沢」になるというのだ。マルクスが言いたかったのは社会主義や共産主義ではなく、人々が自然とともに共生し富を生み出す社会だった、というのだ。そしてこの本は、若者の間で売れているらしい。トランプ前大統領が社会主義者と批判した民主党のバーニー・サンダースを支持する若者が多いと言われている。どうして米国の若者は社会主義者を支持するのか、不思議な気がしていた。でも、この本を読むとなんとなく若い人たちの気持ちが理解できるのだ。

サンディカリズムとか宇沢弘文の「コモンズ」の世界に似ている気がした。世界中がいまグリーンニューディールに取り組みはじめている。だがそれはコモンズというよりも、新たな経済成長の推進力を模索する動きである。成長経済という点では旧態依然としているともいえる。いま読んでいる「ドーナツ経済学が世界を救う」(ケイト・ラワース著)に面白い記載がある。「メルケルは『持続的成長』といった。キャメロンは『バランスの取れた成長』、EUの委員長(当時)は『懸命で、持続可能で、包括的で、力強い成長』を支持し、世界銀行は『包括的なグリーン成長』を約束した」。私だけではない。世界中の指導者は発想の転換ができていないのだ。地球の危機は環境のせいでも人口減少のせいでも財政難のせいでもないのかもしれない。斎藤曰く、「脱成長」で「潤沢」な未来が開ける。だが多くの人が相変わらず「成長」を追い求めている。発想の転換はいうほど簡単ではない。さて、どうするか・・・。