池江璃花子選手が東京オリンピック・パラリンピックの出場権を獲得した。100メートルバタフライ、優勝した池江はプールの中で泣き崩れた。テレビ画面を通して伝わってくる池江は、あふれる涙に堪えきれず泣いていた。プールを上がっても涙、同僚に見守られてまた涙。インタビューに登場した際には、あふれる涙を抑えきれずに涙、涙。声は震えていた。インタビュアーの質問に必死に答えようとするがまた涙。それでもなんとか言葉を発しながらそしてまた涙。日本中がこの場面を食い入るように見守っていたことだろう。スポーツ選手の涙は数多く見てきたような気がする。だけどこれほど引き込まれた涙は初めてではないか。東京オリンピックでメダルが期待されていた池江。その彼女に病魔が襲う。2019年2月、急性骨髄性白血病を公表した。あれからたった2年。予想を超える復活の涙だった。

オリンピックの出場権がかかっていた昨日の決勝。池江のタイムは57秒77。派遣標準記録57秒92を上回って出場権を獲得した。5年前のリオデジャネイロで出した記録に0.06秒及ばなかった。日本記録は池江自身が2018年に出した56秒08。2019年の世界選手権での優勝記録は55秒83。単純に比べればまだ世界とは大きな差がある。池江自身「優勝できてうれしいけれど、世界と戦えるかといえばそういうタイムではない。高みを目指していきたい」(朝日新聞)と冷静に分析している。あの状況で世界を見据えている。興奮しながら冷静に自分の立ち位置が判断できる。この辺がアスリートとしての池江の強さだろう。だが、今日はそんなことはどうでも良いのだ。病魔を克服し、痩せ細った体をプールに沈めたのが昨年の3月ごろだったと思う。あれからわずか1年の復活である。「努力は必ず報われる」、彼女の発言の裏にある事実、これがまた凄い。

予選、準決勝では「ラスト10メートルで腕が回らなくなった」と振り返る池江。普通なら病み上がりの体で無理もないと思う。だが池江は違った。「前半行き過ぎても後半浮いてしまう」。だから「前半は周りを見ずに自分のペースで泳ごう」。それと折り返しのターン。予選、準決勝とタイミングが合わずにタイムをロスした。決勝ではスタート直後のドルフィンキックの数を少し多くした。これによって折り返しのタイミングがぴったりと合う。見事な泳ぎの修正だ。代表を率いる平井伯昌監督はいう。「力を出し切る天才的な能力がある」(朝日新聞)。涙の裏に隠されていた柔軟性。これこそが歴史的な涙の原動力なのだ。本人の努力や周囲の支援、副作用が強いと言われる造血幹細胞移植の成功、医学の進歩も池江を支えた。それに加え瞬時に泳ぎを修正できる柔軟性、涙の裏もすべてがオリンピック級だ。