野党は菅内閣の不信任決議案をきょう国会に提出した。通常国会の会期末に繰り返される一種の風物詩と化した光景だ。菅首相がこれを逆手に取って解散に打って出れば、我々の生活にもちょっとした影響が及んでくる。だが、多分そうはならないだろう。コロナ対策を優先しワクチン接種に内閣の命運を委ねる首相だ。粛々とこの動議を否決し、オリンピック終了後に解散に打って出る、そんな気がする。それは野党も百も承知だろう。だとすれば不信任決議案の意味はどこにあるのか。想像するにこれ以上の妙案がないということだ。いずれくる総選挙や都議会選挙を前に野党が有権者に自らの存在をアピールする手段、それが不信任決議案の提出ということだ。これで票が増えるとは思わないが、これしかない野党の手詰まり感が漂う。

菅内閣を擁護しようとは思わないが、先週末からきのうのNATO(北大西洋条約機構)首脳会議まで、連日報道されていた国際政治のダイナミックな動きを目にしたあと、内閣不信任決議案を提出した国内の政局に目を転じた時、ある種の“落差”みたいなものを感じざるを得ない。G7もNATOも中国の覇権がテーマだった。いいか悪いかは別として、こうした国際政治の議論に直接参加しているのはアジアでは日本だけだ。G7のメンバーとしてかろうじて国際政治の片隅に与している。なぜそうなったのか、理由は簡単だ。戦後築き上げた強大な経済力が日本を国際舞台に押し上げたのだ。その経済力は衰退の一途をたどっている。日本はいまや過去の遺産を食い潰しているに過ぎない。このままいけばそんなに遠くないいつの日か、日本はG7の座を追われることになるだろう。

経済力はなくてもロシアのように国際舞台で政治力を保っている国もある。核兵器をはじめ軍事力という支えがある。軍事力がない日本が経済力もなくなれば、木から落ちた“ただの国”になるしかない。それでも構わないのだが、軍事力や経済力がなくても国際社会で影響力を発揮できる道がないこともない。オリパラもその一つであることは間違いないが、もっと有効な手がある。安倍首相が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」構想のように、未来に向けた構想力に磨きをかけることだ。TPPに英国が参加希望を表明している。米国が抜けた後をついだ日本の調整力も力の一つだろう。日本が国際政治で果たしうる役割は探せばいくらでもある。そんなことを考えている時に、会期延長を拒否した菅内閣に野党4党が不信任決議案を提出した。この落差はどうやって埋めればいいのだろう・・・。