にわか政治記者のつもりでこの1週間、コロナ禍で繰り広げられている自民党の総裁選に解散、総選挙が絡んだ政局をウォッチしてきた。正直いってこの政局の争点がどこにあるのかよくわからなかった。テレビも新聞も菅首相の権力欲とか求心力狙い、なりふり構わぬ暴挙とか、さもありそうな視点から連日政局報道を続けている。そうした側面があることは十分理解しているのだが、なにごとも決めたら動かない首相にしては振れすぎるという気がしていた。そんな中、今朝、読売新聞の記事を読んだ。タイトルは「『国対目線ではなく国民目線で』小泉氏直言…首相、側近・森山氏の助言との間で揺れる」とある。小泉進次郎、森山裕、両氏とも菅首相の数少ない側近だ。その2人が首相に対して異なる選択肢を進言している。どうやら首相の腰が定まらない原因はここにあるようだ。この記事を読んで今回の政局の全体像が少し見えた気がした。

自民党の総裁選や衆議院の任期は既定の事実。総裁選の日程は9月17日告示、29日投開票で決まっている。衆議院議員の方は10月21日が任期切れ。この狭い日程のなかで解散か任期満了選挙か、首相はどちらかを選ばざるを得ない状況に追い込まれている。こうした中で国対委員長を勤める森山氏は、野党の主張に配慮しながら「憲政の常道」(大島議長)である任期切れ前の総選挙実施を主張、10月5日公示、17日投開票の日程を進言した。これに対して小泉氏は、「総裁選を経て選出された新総裁が総選挙の日程を決めるのが筋だ」と主張、任期満了に伴う総選挙を10月17日におこなうべきでない」と進言した。任期満了に伴う総選挙を選択しても、日程は事前に菅内閣が閣議決定しなければならない。小泉氏はこの閣議決定を新総裁が行うのが「憲政の常道」と主張している。要するに2つの「憲政の常道」が首相を挟んで対立しているのだ。

どちらにもそれなりの理屈があり、配慮すべき政治的な背景がある。政治というのは時に政治家の思惑を超えたところで対立することがある。これはそのいい例かもしれない。どちらが自分にとって有利なのか、権力者の決定はつねに有権者の願いを超えたところで行われる可能性がある。それこそメディアが監視すべき事柄だと思うが、今回の政局報道ではそんな視点からの情報提供はほとんどない。いやこれまでもそんな報道はなかったのかもしれない。これからもおそらくないだろう。にわか政治記者にも2つの選択肢のどちらが有権者のためになるのか、よくわからない。筋論から言えば民意に委ねたほうがいいと思う。総裁選をまずやり、新総裁が諸々の日程を決める。こちらの方がスッキリする。どちらをとっても異論反論はつきまとう。この際、政治的な思惑を離れて決断する。難解な政局で発揮する決断力、それが菅首相に残された選択肢だろう。