毎日膨大な量のニュースと称するモノが目の前を流れていく。なるほどと感心するニュースも時にはあるが、大半はどうでもいい読み物ばかり。ニュースだけではない。時宜にかない、問題の本質を鋭く抉り出すような解説の類も滅多にお目にかかることはない。かねがねニュースを読むという行為の消耗感というか、無駄な努力をしているのではという自己嫌悪に近い焦燥感に苛まれることがある。それでもニュースがない世界を想像すると、そこは真っ暗闇の牢獄のようなイメージがつきまとう。情報が遮断される恐ろしさは、ニュースの価値に疑念を抱く焦燥感より遥かに大きい。となれば玉石混交の世界から数少ない貴重な宝物を探し出す以外にニュースを読み続ける意味はない。ゴミのやまから宝を探す、そんな読み方があるかもしれない。

ニッポン放送が昨日放送したニュース、「河野担当相が明かす、日本でのワクチン接種が遅れた“本当の理由”」に宝の欠片があった。収録は菅首相の退陣表明の前。世界的に見てワクチン接種が遅れた理由について河野大臣が吐露している。「去年(2020年)の7月にファイザーが『国際的な治験をやるぞ』と言ったときに、欧米と比べて、当時は感染者数が2桁ほど少ないから、日本で治験をやっても時間がかかるだけで意味がない、ということで外されたのです」。これが遅れた第1の理由。ただし、この時ファイザーは「アメリカ在住の日本人を集めて国際治験のなかに入れてくれていた」。このデータはあった。だが厚労省は「アメリカと日本では食べ物なども違うから、それはダメだ」と言って、「再度、10月に日本で160人の治験をやった。それでスタートが遅れてしまった」。ワクチンの無謬性を追求するか有事の決断か、議論や異論はあるだろう。有事か平時かの判断も難しい。そして時間だけが虚しく流れ去っていった。ここに日本の一つの課題がある。

このあと放送は自民党の青山繁晴参院議員のインタビューに移る。司会者の「国産ワクチンの開発がなぜできなかったのか」との問いかけに同議員は次のように答えている。「自民党の対策本部でも、当初からそれを指摘していたのですが、厚労省は全然答えないのです」、「モデルナはずっと薬をつくれない時期が続いていたわけです。しかし民間の投資も活発になり、続けることができて、ついに実ったわけです。そういう仕組みが日本にはない。つまり『民間の力を活かせない』というところに大きな問題があります」。厚労省や厚労族の沈黙の裏には「いつ起こるかわからないパンデミックに莫大な資金を投入するリスクを考えれば、ワクチン開発はやるべきではない」との“本音”が隠されている。民間活力も活かせず、リスクもとらない。これが日本の現実の姿であり、ワクチン接種が遅れた究極の理由だ。