文芸春秋(11月号)に掲載された財務省の矢野康治事務次官の財政危機を訴える寄稿は「矢野論文」と称され、世の中に波紋を広げた。読者の中には「日本は破綻するのか」と心配した方もおられるだろう。ただ、意外に思うかもしれないが、金融市場で「矢野論文」は完全に無視された。国民の間で広がる財政不安を横目に「まったく材料にならなかった」(大手邦銀)という。金融市場に響かない背景を解説したい。(時事通信解説委員 窪園博俊)

「深刻」な国家財政

 わが国財政は、矢野次官が訴えるまでもなく「深刻」な状態にある。本来、国家財政に責任を持つ公的部門トップが危機を訴えるのは異常事態で、「金融市場が動揺してしかるべき」(日銀OB)だが、肝心の国債相場はびくともしなかった。これは財務次官の発言を決して軽視しているわけではない。財政赤字が空前の規模でも金融市場は危機の予兆を感じ取りにくい状況に置かれているのだ。まず、財務省ホームページの「日本の財政関係資料」から抜き出したチャート(図表1)をご覧いただきたい。

【図表1】利払い費と金利の推移(財務省ウェブサイトより)

 注目は「金利」である。これは国債利回りの推移だが、国債残高の積み上がりとは対照的に低下傾向をたどった。利回りは国債価格と逆に動く。利回り上昇は国債の値下がり、低下は値上がりだ(以下、『利回り』は『金利』に統一)。このチャートが意味するのは、国債発行が増加するほど値段が上がった、ということだ。モノの供給を増やすと、普通は需給が悪化して値下がりする。ところが、国債の場合は逆で、たくさん出すほど、値段が高くなった。

 国債は借金に例えられる。家計や企業が借金をたくさん抱えると、信用は悪化するものだ。借金過多の人や企業が借り換えをすると、貸し手は貸し倒れリスクを考慮して金利を高くする。借金が増えるほど金利は高くなり、返済が苦しくなりやすい。しかし、日本政府の場合は借金をたくさん抱えるほど、信用力が増して金利が下がった。そして、その恩恵を受ける形で、利払い費は1990年代末から下がり始めた。

 これは、金利低下に伴う必然的な効果だ。具体的には、金利低下が進む中、過去に発行された金利の高い国債が償還される。そして、金利の低い国債が発行される。これによって金利負担が軽減する、というものだ。国債発行が累増しても、この金利低下の恩恵が強力なため、利払い費は2005年前後まで減少。その後、国債発行が累増を続けても利払い費は8兆~9兆円程度で横ばいだ。05年前後を起点にすると、借金がほぼ倍増しても返済負担はほぼ変わらない、という驚異的な効果だ。

 個人や会社では考えられない現象がなぜ起きたのか。これは「経済要因」と「需給要因」に分解できる。まず、経済要因だが、端的には日本が低成長・低インフレに陥ったことだ。1980年代後半のバブル崩壊後、経済は長期低迷。もともと低いインフレ率は若干のマイナスとなり、いわゆる「デフレ」となった。成長率の失速とデフレの長期化に歩調を合わせ、金利は淡々と低下した。

供給増でも国債の値崩れが起きないワケ

 そうは言っても、国債がどんどん供給されたら値崩れが起きる(金利は上昇)のではないか、と思うだろう。ここで登場するのが「需給要因」である。銀行や生損保など金融機関から旺盛な需要が発生したのだ。長期低迷の下では、民間からの資金需要が乏しく、金融機関は運用難となる。国債ぐらいしか有力な運用先はなく、累増する国債は金融機関の格好の運用資産になった。

 国債を買う源泉は銀行の預金だ(帳簿的な動きとして国債と預金は同時発生的に増加する)。日本は世界有数の預金大国で、金利が低下しても国民は貯蓄性向を高めた。皮肉にも、経済の長期低迷で将来不安が高まった結果、国民は預金増強に動いた。これまた皮肉にも、預金を多く持つ高齢層は、年金制度が揺らぐことへの不安から余計に預金を積み上げたとみられる。こうした国民の預金膨張は「日銀資金循環統計」の「家計の金融資産」(図表2)で確認できる。

【図表2】家計の金融資産(日本銀行ウェブサイトより)

 こうした自己完結的な資金循環が形成されるのは、前述したように経済の長期低迷で将来不安が根強く、国民が預金に励むからだ。通常の金融理論では、金利がゼロになると高い金利を求めて資金は動く。国内に有望な運用先がなければ、金利の高い外貨に流れやすい。ただ、日本人は総じて「リスク回避」の性向が強いため、積極的に外貨リスクを取らない。預金は国内滞留を続けるしかないのだ。

【図表3】非金融法人企業の金融資産(日本銀行ウェブサイトより)

 実は、企業部門もお金を使うのに慎重であり、現預金を抱えやすい。これも日銀資金循環統計の「民間非金融法人企業の金融資産」(図表3)で確認できる。成長期待が乏しく、設備投資してリスクを取るより、将来不安に備えて内部留保を厚くしたいためだ。実際、潤沢な内部留保のおかげで企業部門は大手を中心に「コロナショック」を乗り越えることができた。いずれにせよ、家計と企業の預金が金融機関を介して国債とそれ以外の政府債務のすべてを支える構図となっている。

「メザシの土光さん」が見たら…

日本銀行本店【時事通信社】

 最初に戻るが、金融市場が「矢野論文」を無視したのは、経済低迷、デフレ傾向、預金が国債を消化する資金循環に「変化が生じることは当面ない」(銀行系証券アナリスト)と見ているためだ。日銀は脱デフレを目指して2013年に大規模緩和に踏み切ったが、上がらぬ物価を前に漫然と緩和策を続けるだけだ。財政不安が本物なら金利が上がるはずだが、「今のところ、その気配はない」(債券ファンドマネジャー)との見方が支配的だ。日銀の国債大量購入も金利抑制要因だが、銀行が買うはずの国債を日銀が奪っただけで、金融緩和が低金利の主因ではない。

 冒頭で「わが国財政は…『深刻』な状態にある」と深刻をかぎかっこで囲ったのは、財政赤字は金額が大きいため深刻なイメージを与えるが、金融市場ではその深刻さに現実味がないからだ。ここで興味深いことを紹介したい。具体的には、わが国は大昔から財政危機を訴えていたということだ。

 「(わが国の)最も現実的な問題である財政赤字の現状からみてみよう。…景気回復過程にもかかわらず公債依存度はむしろ逆に上昇の一途をたどり…公債依存度は主要国中最大となっている」

 1981年の「経済白書」である。国債発行残高は100兆円未満で、この危機感である。その頃、「メザシの土光さん」で有名な土光敏夫氏の「土光臨調」(第2次臨時行政調査会)が発足し、国鉄民営化など大胆な行財政改革を手掛けたことを記憶する方もいよう。この土光臨調は、強い危機感から「増税なき財政再建」を目指した。その土光氏がタイムマシンで現在の財政事情を見たらまず嘆き、そして驚愕(きょうがく)するだろう。「臨調は失敗だったのか」と。そして、国債発行残が10倍以上にもなって「なぜ金利がゼロに近いのか」と。財務省トップが警告しても金融市場が無反応で、金利が上がらない経済の方が財政よりも深刻な病状を抱えていると言えよう。

【筆者略歴】外国経済部、ロンドン特派員、経済部などを経て、現在は解説委員。1997年から日銀記者クラブに所属。以来、金融政策、経済、マーケットの動向などを取材。

(2021年12月17日掲載)