プーチンに対する「怒り」の感情が世界中に広がっている。24日に世界に比類なき核保有国であることを吹聴しながら、ウクライナに圧倒的な軍事力で全面戦争を仕掛けたウラジーミル・プーチン。ロシア大統領に就任して既に20有余年が経っている。権力者にして世界最大の独裁者。学識経験者によると、プーチンがウクライナ侵攻を仕掛けた動機は「鬱積した怒り」だという。1989年11月9日、西ドイツと東ドイツの間に存在したベルリンの壁が崩壊した。この時プーチンは東ドイツに駐留、西側の勝利、裏を返せば共産圏の敗北を目の当たりにした。以来プーチンはNATOを中心にひたひたと押し寄せる西側の軍事的圧力に晒されてきた。独裁者として君臨するに至る20有余年は「怒り」を鬱積させた年月だったという。その怒りが爆発した。いまわれわれが目にしているウクライナの悲劇だ。独裁者の個人的な感情に起因する戦争、あってはならない。

世界中の政治指導者はロシアの無意味な侵攻に経済制裁で対抗しようとしている。SWIFTからロシアを排除することも決まった。日本も参加する。当然だろう。プーチンの「鬱積した怒り」に対応するには非軍事的手段以外にはあり得ない。最強手段である制裁の発動には、制裁する側にも痛みが伴う。それは致し方ない。軍事的に対抗すれば悲劇が拡大するだけだ。西側の指導者が珍しく一致している。これは侵攻という悲劇の中で生まれた吉兆でもある。それ以上に心強いのは米国や英国、ドイツ、フランス、日本を含めプーチンの戦争に対する「怒り」の感情がいま、世界中の市民の間に広がっていることだ。西側諸国だけではない。プーチンのお膝元のロシアでも戦争反対を叫ぶ大規模な抗議デモが起こっている。プーチンは国内でも強権を発動、1800人を超える人々が逮捕されている。それでも市民の「怒りの輪」は広がり続けるだろう。仮にプーチンの「鬱積する怒り」に一理あるとしても、市民が感じる独裁者の戦争に対する「怒り」の方が遥かに優っている。

ウクライナ侵攻で世界中の指導者は、“プーチン的なもの”に賛成か反対か問われることになる。国連の安保理のウクライナ侵攻を非難する決議案は、15の常任理事国のうち11カ国が賛成、中国、インド、アラブ首長国連邦(UAE)は棄権した。ロシアが拒否権を発動したため決議案自体は日の目を見なかったが、それでも大半の国が賛成したことには意味がある。それ以上に世界中の市民の間に広がる「プーチンに対する怒り」の爆発は重い。市民だけではない。企業もプーチン的なものを拒否しないと市民の反感を買うことになる。世界中の市民の間に蓄積されるプーチンに対する「怒り」。この動きを止めることはできない。習近平、金正恩、ミャンマーのミン・アウン・フライン。どこから見てもプーチン的だ。シリアの政府軍やアフガニスタンを支配したタリバンもプーチンに近いかもいしれない。市民の「怒り」がプーチンの「終わりの始まり」を引き寄せる気がする。