安倍元首相が遊説中に銃撃され、不慮の死を遂げてから3日がたった。参院選では同氏に対する同情票もあったのだろう。自民党が大勝し、憲法改正に必要な3分の2の議席を参院でも確保した。これで憲法改正が発議されなければ、日本の政治は鼎の軽重が問われるだろう。もう一つ問われるべきものがある。要人の警護体制だ。安倍氏は至近距離から2発の銃撃を受けて死去した。周辺にはS Pと警察官が配備されていた。1発目と2発目の銃撃の間には2〜3秒の間があった。1発目の銃弾が発射されたあと白い煙が上がった。重大な危機の突発た。だが、その時、安倍氏を警護していたS Pも警官も立ち尽くしたまま動かなかった。ここに、日本が陥っている重大な“病(やまい)”があるような気がした。
翌日の朝日新聞は社会面で次のように指摘した。「S Pは異変があった場合、警護対象者を押し倒して覆いかぶさるといった防御をするよう訓練されている」。1発目と2発目の間にはわずかだが時間があった。白い煙が上がったあと即座に誰かが安倍元首相に飛びかかり、押し倒していたら命は助かったかもしれない。仮定の仮説に防御側のあるべき姿を求めるべきではないかもしれない。だが、警護を担当するS Pや警察官がやるべきことは、警護対象者の命を守ることだ。普通に考えれば1発目の拳銃の音を聞いた途端、警護者は非警護者に飛びかかり押し倒すはずだ。だが、S Pも警察官も動かなかった。直後の映像には銃撃犯をS Pとみられる屈強な男たちが取り押さえる現場が映し出されていた。こちらは瞬時に動いている。なのに、どうして安倍氏は守れなかったのか。明らかに奈良県警、警察庁、警視庁の大失態である。
ロイター通信は8日「安倍氏暗殺、日本の要人警護に疑問符」との見出しの記事を配信した。欧米は日本の警備体制に不信感を強めている。当然だと思う。事態は日本の信用に関わっている。日経新聞によると岸田首相は8日午後記者団に、「警備については最善を尽くしていたと信じたいと思う」と発言している。このあと、「いま一度しっかり実態を確認する」と補足している。だが、ここに大きな現状認識の瑕疵がある。東日本大震災に伴う原発事故は、「安全神話」と「本当の安全」の違いを抉り出したが、今度の事件で同じ過ちが繰り返された。「安全な国・日本」という単なる神話を鵜呑みにしていた警備当局、岸田首相は「警備当局は何をしていた」とどうして一括しなかったのか。首相の限界、政治の限界、官僚の限界、メディアの限界。安倍襲撃事件は、現場の実態と為政者の現状認識に大きなズレがあることを炙り出した。皮肉なことに参院選の大勝はこの先、日本の限界を次々と抉り出すことになる気がする。
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