発熱は12日。旅先の旅館で、夕食後、急に悪寒が走り発熱した。最高時は38.2度。旅館の続き部屋にこもり布団を被る。夜中に大量の汗をかき浴衣を着替える。熱は37度台に低下。だが、これが激動の始まりだった。第7次感染拡大の真っ只中、何年かぶりの家族旅行を計画したのが運の尽きか。感染したのは私を含めて同行した家族5人のうち3人(うち幼児1人)。残りの2人は車を使った密室での長時間移動にもかかわらず陰性。どうして?一人は第6次で既に感染を経験。もう一人は少し前に実施した4回目のワクチン接種の折、副反応で高熱を出している。二人とも既感染者ということか。私個人については先週、猛暑の中でのゴルフをはじめイベントが続いた。肉体的にちょっとバテ気味だった。これが発熱の原因か。この時点で認識はまだ甘い。翌日は生憎の雨模様。早々と観光を切り上げて帰宅の途に。娘と幼児の熱も上がりはじめう。

13日夕方。帰宅すると、ネットで注文した抗原検査キットが届いていた。早速検査。陰性の線がくっきりと浮かび上がる。翌日実施した2回目も陰性。それでも家族の不安は解消しない。娘と孫の熱が39度を超える。解熱剤で熱は徐々に下がるが、なかなか平熱には戻らない。翌14日、発熱外来に電話するがどこもかしこも予約で満杯。15日、海外駐在中の娘の夫のアドバイスもあり、娘の家に戻ることに。夕食後、娘が突然腹痛を訴える。すわ食中毒か。深夜トイレで倒れるも気づかず。脱水症状で体が動かない。声も出ない。いま思うと、この時が最大の危機だった。経口補水でなんとか持ち直すものの、七転八倒の激痛が続く。この間、娘がスマホで夫と連絡をとりながら対策を協議。救急車を呼んだ方がいいということに。コロナと熱中症で救急医療は超繁忙、まして深夜。正直迷う。そんな中、激痛に耐えながら当人が救急車で迷った時に相談に乗ってくれるセンター(#7119)の存在を見つける。

16日未明。電話で相談、センター側で救急車を手配してくれることに。例のピーポーを隣近所に轟かせながら救急車が到着。微に入り細を穿つ問診の後、搬送病院が決まる。ただし病床に余裕はなく入院は無理。診察だけということに。幼児がいるために付き添う者がいない。仕方なく妻を呼び寄せる。そうこうするうちに「点滴で症状が劇的に改善した。迎えに来て」と娘からLINE。妻の到着を待たずに事態は好転する。帰宅して今度はようやく取れた発熱外来を受診。3人の陽性があっという間に確定。あっけない幕切れに。だが感染経路や腹痛の原因など、何もかも不明のままだ。それでも生活は元に戻りつつある。この間、巨大なシステムが休むことなく動いている医療現場の実態にちょっとだけ触れた。普段はテレビやニュースでしか目にしない他人事の医療逼迫。予約は取れず、納得のいく診察とは程遠い現実。I T社会で逼迫する医療。その裏では「過剰」と「不足」が激しく混在している。医療の現場に思いを馳せながら、自主隔離5日目を過ごす。