盛岡市が一夜にして観光スポットに躍り出た。喜ばしい限りだ。そして次に頭に浮かんだのが「同じようなスポットは日本中、いたる所にあるのではないか」ということだ。まずはことの成り行き。米国の有力紙・ニューヨークタイムズ(NYT)が12日に「2023年に行くべき52カ所」を選出、同紙の旅行欄に掲載した。よく見るとこの中に、なんと、盛岡市が英国のロンドン市に次いで2番目に選出されていたのだ。地元の岩手日報は13日付け朝刊にこの事実を掲載。「盛岡は東京や京都、大阪に比べて注目されてこなかったが、城跡や大正時代の和洋折衷の雰囲気が残る建築物があり、散策に最適の街だと紹介されている」と控えめに県民に選定理由を伝えている。想像するにコロナ禍で抑圧されていた人々が求めはじめた内面的な情景に、盛岡市の歴史を感じる落ち着いた佇まいがフィットしたのではないか。その意味ではNYTに盛岡市を推薦したクレイグ記者の感性の勝利かもしれない。

盛岡市もホームページに「中心市街地に歴史的な建物と川や公園などの自然があり、まちを歩いて楽しめるところや、コーヒー店、わんこそばのほか、書店、ジャズ喫茶などの文化が根付くまちであることが評価された」との一文を掲載、歓迎の意を表した。NYTが掲載したのが12日、HPでの告知が20日。行政対応としてはちょっと遅いかな。それはともかく、これを契機にテレビ局などが盛岡ブームを伝えはじめたのは先週ぐらいから。NHKの情報番組でこの事実を知ったのだが、同番組は盛岡市礼賛だった。多分、他の新聞、テレビ、情報番組も推してしべし。久しぶりのGood Newsでありそのこと自体に異論はないのだが、同じことを朝日新聞や読売新聞がやったらどうなったのだろう。そんなことを自問した時、自答として恐ろしげな結論が頭の中を駆け巡った。「何も起こらない」「無視される」「見向きもしない」。

NYTと日本を代表する新聞社の違いは何か?発行部数が激減しているとはいえ、日本の新聞社の方が圧倒的に多い。だが、知名度や影響力では雲泥の差がある。そこに情報格差が絡む。新聞社に限らず日本のメディアは、すべてとは言わないが主流派は完全に欧米付随型。メディアとして独立しているかどうかも分からない。ウクライナ戦争に関連する情報は米英を中心に欧米メディアのコピーに過ぎない。独自情報も独自分析もない。「52カ所」もNYTだから無条件に追随した。盛岡市は今回の選出に向けて何か特別なことをやったわけではない。自分たちの街に誇りを持って、観光振興に向けた努力を惜しまなかっただけだ。コロナ禍が終焉に向かう中で日本のマスメディアの情報発進力の弱さが、今回のブームで改めて浮き彫りになった。マスゴミなどと揶揄される日本のマスメディア。自戒を込めて「良さ」を見抜く発信力の弱さを痛感した次第。日本には世界の最先端をゆく「良さ」が、いたるところにうずくまっているのだろう。