これをなんと表現すればいいのか?適当な言葉が思いつかない。そんな時頭をよぎったのは「デジャブー」だ。今から9カ月前の、あれからまだ1年も絶っていない、安倍元総理銃撃事件だ。あれとまったく同じことが、和歌山県の雑賀漁港で起こった。違うのは対象者が岸田総理に変わったこと。軽傷者は若干いたようだが死傷者はなかった。武器も自作の拳銃から鉄パイプ爆弾に変わった。銃撃事件の反省を踏まえたのだろう。総理を護衛する要員はだいぶ増えていた。だが、犯人を取り押さえたのは、現場にたまたま居合わせた漁業者である。SPとみられる護衛要員は、爆発物が総理の後ろ1メートルほどの距離に投げ込まれた時、瞬時に反応して警護の役割を果たしていた。だが、本来なら爆発物に被せる機器は持っていなかった。素人が見ても随所に警護の穴が見え隠れする。まるでデジャブー、安倍銃撃事件の再来だ。

今朝テレビのワイドショーを見て驚いた。会場にいた一般の傍聴者が木村容疑者の不審な行動を目撃しており、様子がおかしいと気づいていたといいうのだ。そりゃそうだろう。バックパックの見慣れぬ若者が、総理の演説前から会場の下見を兼ねて周辺を歩いている。パイプ爆弾を取り出すような仕草も映像に映っている。警察官が周囲に多数配置されている。だが、誰もこの不審な青年に職務質問すらしていない。持ち物検査もなければ、総理と聴衆を隔てる壁もない。犯人が拳銃をポケットに忍ばせていれば、簡単に総理を銃撃できただろう。死傷者がいなかったとはいえ安倍銃撃事件を経験した後だけに、状況は今回の方がはるかに“悪質”だ。検察庁は銃撃事件の後に再発防止を目指した“反省文書”をまとめている。警察庁のホームページを見ればいまでも閲覧できる。言い方は悪かもしれないが、官僚が組織を守るために書いた報告書。再発防止には何の役にも立たなかった。

日本の要人警護はどうしてこうも杜撰なのか。警察庁の責任を改めて問う必要がある。総理サイドも甘い。警戒心などまるでない。襲撃リスクなど眼中にないのだろう。政党や政治家は、「民主主義の根幹である選挙を狙い撃ちにした暴挙」と口を揃える。その割に警備当局の責任や官邸の無防備ぶりを指摘するものはほとんどいない。マスメディアもいつものように大騒ぎするだけ。テレビのコメンテーターは的外れなコメントに終始している。だいたい選挙って本当に民主主義の根幹なのか。その割に投票率は下がる一方だ。国家の宰相が命を賭けるに値するのか。誤解を恐れずにあえて言えば、警備当局はおそらくそうはみていないのだろう。なんとなれば、みなボーッと突っ立っているだけで、命をかけて総理を守ろうとはしていない。警備当局を筆頭に総理、官邸、政治家、政党、コメンテーターにメディア、安倍銃撃事件を経験してもなお、何も変わらない。意味なく時間だけが流れていく。それが今の日本だ。