月曜日(11日)にNHKのクローズアップ現代(午後7:30〜)、「“ジャニーズ性加害”とメディア、被害とどう向き合うか」をみた。番組MCである桑子真帆アナが冒頭、「大手メディアはなぜこの問題を報道しなかったのか。報道していれば被害をもっと防げたのではないか?」、被害者の率直な声を伝えることで番組がはじまる。「なぜ大手メディアは取り上げなかったのか」、ジャニーズ問題が提起した“メディア批判”の核心である。番組は答えを求めて、当時ジャニーズ事務所に関係していた芸能担当者や、ニュース担当のプロデューサーなどメディア関係者40人に取材。「報道しなかったメディアにも責任の一端はある」との言質を引き出した。とはいえ、ことはそう簡単ではない。ジャニーズ問題に関わる蔵元弁護士は、「まだまだ突っ込み不足」と率直な感想を述べている。個人的には“常識”に埋もれたメディアの“非常識”を痛感した。問題の根は深い。

ジャニーズ喜多川氏の性加害問題は、1980年代後半にはいくつかの告発本が出版され、知る人ぞ知る問題になっていた。当時民放プロデューサーだった吉野嘉高氏の証言。「性加害は告発本などで認識していた。スポンサーなどへの配慮から当時、ジャニーズ問題を取り上げるのはタブーだった」、「ジャニーズ(の問題)に触れない。触れると大ごとになるからやり過ごす。アンタッチャブルにしていくと、そこに疑問を持たなくなる」。これは当時(いまでもそうだが)のメディア関係者の“常識”だった。際どい問題には関心を持たない、やり過ごす、もっといえば逃げる、これが常態だったと言っていいだろう。「ジャニーさんが逮捕されるとか、逮捕令状が発令されるということになれば、テレビは確実に報道したと思います」。これは勇気ある指摘だ。テレビ局の根底に横たわる「責任回避」の実態を抉り出している。テレビだけではない。主要新聞社など大手メディアはいまでも責任回避、あるいはリスクを伴わない報道姿勢を貫いている。

ジャニーズ問題をいま、現役の社会部デスクとして担当しているNHKの松井裕子氏の証言。「芸能ネタは民放や週刊誌に任せておけばいい。NHKの報道では扱わないという風潮だった」、「忖度や圧力ではなくNHKがニュースにする基準に足りていなかったという判断だった」。OBなどを対象とした取材報告の一部がオンエアーされた。「大手メディアはなぜ報道しなかったのか」、この番組をみて感じたのは、メディアはいつの時代も「常識」に身を委ねているということだ。そのくせ報道機関としての恰好だけは一丁前に取り繕っている。要するに「常識」がメディアの隠れ蓑なのだ。だがその常識の中には権力や圧力、忖度、差別、特権意識、度し難い正義感、排除の論理、魔女狩りといった目には見えない非常識が散りばめられている。この非常識を見抜けないメディアは、常識的に振る舞いながら一部の弱者に対しては常に加害者の役割を果たしている。「報じないこと」、それ自体が加害行為だ。