自民党のパーティー券疑惑を眺めながら自民党政治の不甲斐なさを実感する昨今だが、昨日読了した「官僚のレトリック 霞ヶ関改革はなぜ迷走するのか」を読んで、改めて日本政治のレベルの低さを痛感した。著者の原英史(はら・えいじ)氏は元通産官僚。官僚の良さも悪さも知り尽くした人。奥付をみると「2007年から安倍・福田内閣で渡辺喜美行政改革担当大臣の補佐官を務める。その後、国家公務員制度改革推進本部事務局を経て、09年7月退官」とある。高級官僚の手練手管に通じ、官僚と政治家の関係に精通した第1人者といっていいだろう。自らの役割を「脱官僚」と位置付け、政治家主導の政治体制づくりに奔走した人でもある。この本が発行されたのは2010年5月15日。民主党の鳩山政権が発足したのが2009年9月16日。国民の期待を一身に背負った民主党政権の真っ只中に発行されている。

この本で際立つのは「霞ヶ関修辞学」だ。この時期、政界の最大の関心事は高級官僚の天下りをどうやって防ぐかだ。2007年1月26日(第1次安倍政権)、安倍総理は施政方針演説で「予算や権限を背景とした押し付け的な斡旋による再就職を根絶する」と表明した。もちろんこの原稿を書いたのは高級官僚。一見これによって官僚の再就職は禁止されるかのように見える。だが、実はこの一文に官僚の巧妙な“狙い”が仕掛けられていた。安倍総理はそれに気づかなかった。問題はこの短い表現のなかの「押し付け的な斡旋」という言葉だ。高級官僚の天下りは各省の次官やOBが斡旋するのが一般的。それを禁止するには「斡旋禁止」とだけ書けばこと足りた。そこに「押し付け的な」という形容詞を入れたことによって、「押し付け的でない斡旋」は禁止されないと解釈できるようになった。

これを「霞ヶ関修辞学」というのだそうだ。天下りを推進する役所が「押し付け的ではない」と主張することによって、すべての天下りが合法になったのである。安倍内閣での改革はこのフレーズによって頓挫したと著者はいう。霞ヶ関修辞学が天下り改革の“幕引き宣言”となったのだ。福田内閣の後を継いだ麻生内閣はそもそも官僚べったり内閣。この内閣によって脱官僚の動きにトドメが刺された。次に登場したのが民主党の鳩山内閣。同内閣はマニュフェストに掲載した「脱官僚」とは真逆の官僚依存内閣で、支持率が急落した。この本が発行されてからすでに14年が経っている。政治は本来、民意の審判をへて誕生する政治家が主導すべきだと思うが、相変わらず民意の審判を受けない高級官僚が主導権を握っている。なぜか、政治家はカネ集めに忙しくて政治に割く時間がない。その間隙を縫って霞ヶ関が実権を握る。昨今の政治刷新の流れも、問題の本質を誤魔化すための「霞ヶ関修辞学」の応用だろう。

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