注目の静岡県知事選は、立憲民主党と国民民主党が推薦した元浜松市長の鈴木康友氏が当選した。自民党はこれで衆院の補欠選挙を含め4連敗だ。いよいよ岸田総理の進退が問われる事態になってきた。いまさら総理の空虚な政策を逐一批判するつもりはないが、先週23日に開催された経済財政諮問会議の最後に次のような発言をしている。「誰でもが活躍できるウェルビーイング(Well-being)の世界を実現していかなければならない」。総理だけではない。日本中の有力な政治家がこの言葉をよく使う。このほかにもリスキリング、ワイズスペンディングなど同類のカタカナ語が氾濫している。D X(デジタル・トランスフォーメーション)などもその一つか。別にカタカナ語が悪いといいたいわけではない。権力に近い有力政治家、御用学者、評論家、メディアの“お偉い人たち”がよく使う言葉だが抽象的で中身がなく、ピンとこない。エリート層であることを自他ともに宣伝する言葉遣いなのかもしれない。

ひょっとすると日本のエリート層の間には、こうした言葉を使うことを良しとする言語空間が出来上がっているのかもしれない。さっそくググってみた。「Well-being(ウェルビーイング)とは、Well(よい)とBeing(状態)が組み合わさった言葉で、『よく在る』『よく居る』状態、心身ともに満たされた状態を表す概念です。元々は「健康的な・幸せな」を意味する、16世紀のイタリア語「benessere(ベネッセレ)」を始源としています」とある。なるほど、大局観も先見性もない為政者が使う言葉としては可もなく、不可もなく、絶対的に正しいと思わせるいわゆるポリティカル・コレクトネスに適った言葉だ。中身のない岸田首相に相応しい言葉かもしれない。政府広報オンラインで発言する総理のビデオを見てみたが、官僚の書いた短い作文を読むのにところどころ詰まっていた。己の脳細胞で咀嚼していないことがはっきりとわかる内容になっている。ウェルビーングどころではないのだろう。

それはそれとして日本のエリート層、為政者と言ってもいい、政治家や官僚、御用学者の間には、同じ言葉あるいは表現を使うという言語空間が共有されているのではないか。そこに主要マスコミが相乗りして、いわゆる世論なるものが形成されている、そんな気がするのだ。ウェルビーイングなど言わずもがなだ。「誰もが活躍できる社会」と言えばすむ。「誰でも活躍できる社会を目指す」と言えば、現状は誰もが活躍できる社会ではないと、すぐに頭の片隅に浮かぶはずだ。だからこれを改革しなければならない。そのために異次元の少子化対策や「効率的で強靱な社会保障制度を構築する」と訴えればわかりやすい。現実から遊離したまま、あるいは現実のなんたるかを理解しないまま、机上の空論を繰り返す日本のエリート層。言葉遣いが最初から間違っている。すべからくアベノマスクだ。これでは政治資金規正法の抜本的改革などできるわけがない。4連敗も当然だろう。

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