日大のアメリカンフットボール部による不正タックル問題は、教職員組合による理事長や学長の退任要求に発展した。フェアプレイに反する行為や部の監督責任、加害者でもある宮川選手の勇気ある発言に焦点が当たっていたこれまでと違って、日大幹部に対する辞任要求は50年前の日大闘争を彷彿とさせる権力闘争の様相を帯びてきた。田中理事長以下常務理事全員と学長が潔く引責辞任すれば、日大の正常化は意外に早く実現するかもしれない。だが、後任の人事をめぐって田中理事長が水面下で影響力を行使すれば、事態は予想外に長引くだろう。むしろその可能性の方が大きいとみたほうがいいだろう。いずれにしても今回の問題は日大に限らない。日本中の見えないところではびこる権力の意外な事態を抉り出した。

スポーツマンシップや教育論といった要素を取り除いて今回の不正タックル問題をみると、内田監督が絶対的な権力を握っている組織論が見えてくる。加害者である宮川選手は監督の指示を実行する以外に自らの夢であるアメフトの選手としての未来が閉ざされる。監督と宮川選手の間にいるコーチも立場は宮川選手と全く同じ。監督が行使する権力は一方的なベクトルで上意下達する。これに逆らった者は組織から「外され」、フットボール選手としての将来が奪われる。監督によってその対象者に選ばれることを「ハマる」というのだそうだ。「ハマった者」に選択の余地はない。ここまでくるとまるでマフィアの人間関係だ。独裁者の実像があまりにもリアルに浮かび上がる。そんな中で「実行したのは自分」と自らの行為責任を口にする宮川選手。返す刀で独裁者を切りつたわけではないが、誠意を尽くした謝罪で独裁者を木っ端微塵に粉砕した。歴史的快挙と言っていい。すばらしい。

メディアが煽れば煽るほど独裁者は殻を閉ざす。この権力構造はアメフト部だけではない。日大の隅からすみまで蔓延している。独裁者が批判にさらされた時、組織は動かなくなる。田中理事長以下日大を牛耳る幹部がこれまで、為すべきことをなしえなかった実態がそのことを雄弁に物語る。こうした中では、反対する者も大変だ。独裁者がいなくなればことは簡単だが、その保証はどこにもない。だから声をあげることに躊躇する。独裁者が倒れないと、声をあげた者は狙われる。それを考えれば声をあげることに勇気がいる。だけど、声をあげない限り日大は良くならない。そんな中で教職員組合がようやく声をあげた。宮川選手に次ぐ快挙である。田中理事長以下常務理事全員と、大塚学長(理事)の引責辞任を求めている。当然の要求だ。日大復活の最低条件は、後継を指名することなく常務理事と学長が総退陣することだ。