今朝は珍しくスポーツ紙と一般紙のスポーツ欄に目を通した。大船渡高校の佐々木朗希投手が決勝戦に登板しなかったことをメディアがどう伝えているのか、確認したかった。総じて報道は冷静だったように思う。野球関係者ならびにファンの「投げて欲しかった」、「監督の英断だ」、「甲子園で見たかった」など、それぞれの思いを伝えている。そんな中で一人の野球ファン、スポーツファンとしては国保陽平監督(32)の英断に喝采を送りたい。甲子園まであと1勝、実績を見る限り佐々木投手が投げれば勝つ確率はグーンと上がったと思う。そうした状況の中で監督は「私の判断」で登板を回避したと説明する。理由は「故障を防ぐため」である。

佐々木投手の登板回避は是か非かではない。国保監督の決断を支持するか、しないかである。個人的には支持する。報道を見る限り同監督はスポーツ科学を先行したアスリート管理の専門家である。野球の本場アメリカで肩を痛めて投げられなくなった若い投手を何人も見ている。年齢もまだ若い。日本にもようやくこういう監督が出てきた。朝日デジタルを見る限り、登板回避の賛否は様々だ。1998年夏の甲子園でPL学園相手に延長17回を投げ抜いた松坂大輔氏。「難しい判断だったと思う。甲子園に行きたかっただろうし、佐々木君という宝物を壊すわけにもいかないし……」、複雑な心境を吐露する。当時の監督だった渡辺元智氏は「私なら投げさせた」。それにも一理ある。

巨人の原監督。苦渋の決断と推察しながら「甲子園で見たかったな、というのは率直な意見」とみる。朝日は「(これは)高校野球なんだろうか」、地元ファンの残念そうな声も紹介している。いずれの声も理解できる。だが、この記事の最後に大リーグロイヤルズの大屋博行・国際スカウトの見方が出ている。「米国の高校野球なら連投になるこの試合で登板することはあり得ない」。おそらくこれが最先端の考え方なのだろう。その意味で日本の野球は遅れている。真夏の最盛期に平気で長時間練習し連戦、連投が当たり前のように行われている。先輩、後輩の人間関係にうるさく、精神論が平気でまかり通ったりする。目先の1勝より長い野球人生を見据えた指導。国保監督の決断は、野球に限らず日本のスポーツ界に一石を投じたような気がする。