安倍首相は昨日、新型コロナウイルス対策本部の会合で、3月2日から春休みまでの間、全国の小中高校に対して臨時休校を要請すると表明した。突然の決断である。英断と評価する人もいれば、社会の秩序が崩れると懸念する人もいる。突然の方針発表に子供を持つ親の間には戸惑いも広がる。いちいち上げないが問題は山ほどある。だが、総理の決断は様々な批判を覚悟の上で、総理大臣にしかできない決断だと、一応は評価したい。場当たりでも構わない。子供をウイルスに感染させないためにはこれしかない。やるなら早いほうがいい。むしろ遅きに失したのではないかとすら思う。
だが、一連の政府対応には不満がある。CRP検査が諸外国に比べて圧倒的に少ないこと、検査や診療体制の整備が進まないこと、各種対策にスピード感がないこと。要するにパンデミック阻止に向けた方針が明確ではないのだ。まだある。非常事態に直面しても、政府の国民に対するコミュニケーションが不十分なこと、感染拡大を阻止するための臨時緊急の予算が圧倒的少ないこと、地方自治体との連携がみられないこと、数えあがたらきりがない。そんな中で小中高の臨時休校が動き出したことは、とりあえず評価したい。批判も問題も山ほどあるだろう。だが、日本人には適応能力がある。方針が決まれば現場にいる人たちが動き出す。そこに期待したい。
こうした動きを眺めながら思うのは、主流派といわれる人たちの劣化だ。総理や与野党の国会議員だけではない。官僚や学識経験者、医療関係者など政策決定の近傍にいる主流派の人たちに、危機を打開する知恵や能力はあるのだろうか。疑いたくもなる。少なくとも、そう見えてしまうのだ。日本がいま直面しているのは命の危機だ。にもかかわらず予算は小出し、責任は地方に押し付け、困窮する生活者への支援は頭の片隅にもない。休校は批判があってもやるべきだ。だが、同時に子を持つ親、勤め先との関係など、生活者が直面する課題に対する支援を一緒に表明しない限り、場当たり的で責任逃れの決断といわざるを得ない。