けさニュースを見ながら少しだけホッとした。一つは厚労省が新型コロナウイルスに感染した人のうち、軽症者については自宅で療養することを認める方針に転換したというニュース。もう一つは同じく厚労省がオンライン初診を認める方針を固めたというもの。新型コロナの感染がオーバーシュート(爆発的な感染の拡大)しそうな雰囲気の中で、東京都の医療崩壊が現実味を帯びてきた。新型コロナウイルスは指定感染症に指定されており、罹患すると病院での隔離が義務付けられている。病床不足が懸念される中で小池都知事は厚労省に対し自宅での隔離を認めるよう要請していたが、同省はこれまで頑なに拒否していた。

もう一つのオンライン初診。朝日新聞によると「現行では原則認められていないが、非常時の対応として容認することに転換した」とある。IT全盛の時代にどうしてこういうことが認められなかったのかわからないが、おそらく医師会の既得権が絡んでいるのだろう。それが非常時には認められるということだ。韓国では個人情報の保護を度外視して、スマホでウイルス感染者の居住地を特定するシステムが稼働している。これによって感染拡大がかなり阻止されているとの報道もある。現場の実態を受け入れるのに時間がかかる日本、個人情報を無視するかのように最先端技術を縦横無尽に駆使して感染を防いでいる韓国。布マスクの配布をいまごろ大々的に喧伝する政府。この違いが一般の国民には後手後手に映る。

メディアや学識経験者、評論家、批判家、世論は新型コロナ対策の「あるべき論」をまず頭に思い浮かべる。そんなことは百も承知だと思うが厚労省は、「現実論」を踏まえた上で「あるべき論」を展望する。メディアは理想論ともいうべき「あるべき論」と現実対応のあまりにも大きなギャップに苛立ち、声を荒げる。厚労省にすれば法律で規定されていることを踏み外すためにはそれなりの手続きがいる、というだろう。どちらに立つかで物事の見え方は違ってくる。両者の対立が激しくなればなるほどウイルスは高笑いする。目の前にあるのは未だかつて経験したことのない非常事態である。どちらが正しいかではない。このギャップをどうやって埋めるか。新型コロナが政府と国民に突きつけた課題だろう。