ステイホームを続けながら、健康維持の一環としてほぼ毎日小1時間ほどウォーキングを続けている。昨日も多少涼しくなった5時ちょと前に家を出た。帰ってきたら安倍首相の記者会見が始まろうとしていた。首相は冒頭「本日、緊急事態宣言を全国において解除いたします」。スピーチライターの書いた原稿に目を落としながら型通りの解除宣言。このあと縷々説明が続くが、なんとなく耳障りに感じたのは次のフレーズ。「我が国では、罰則を伴う強制的な外出規制を実施することはできません。それでも、そうした日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。正に、日本モデルの力を示したと思います」。

「日本モデル」ときた。こういう表現は政治家はあまり使わない。新聞記者や官僚、学識経験者が好んで使う言葉だ。筆者自身も時々「日本モデル」と書く。おそらくこれを書いたスピーチライターは官僚なだろう。あとのニュースで二階幹事長は、「これは国民の勝利だ」と言っていた。まったくその通り。有権者に寄り添う政治家はこう言うべきだ。「日本モデルの力を示した」、これでは民意を汲み取った感じがまるでない。ロックダウン(都市封鎖)することもなくウイルスを鎮圧した政府の方針が正しかった、首相発言は自画自賛にしか聞こえない。側近を重用する首相だ。アベノマスクと同じように、側近もまた民意とかけ離れたところで忖度しながら“御注進”に及んでいるのだろう。「日本モデル」という言葉からは、国民から遊離した官邸の実像が垣間見える。

まだある。会見の後半になって国民に次のように注意喚起した。「ただ一点、強調しておかなければならないことがあります。それは、緊急事態が解除された後でも私たちの身の回りにウイルスは確実に存在しているということであります」。だから国民は引き続き気を引き締めて行動変容に努めてほしいとの呼びかけである。国民に自粛を求める半面、ウイルスとの共存に向けて政府は何をするのか、具体的な発言がほとんどない。吉村大阪府知事は、「私の責任で自粛を解除する」と強調すると同時に、「ウイルス追跡システム」を作ると、自治体としてやるべき課題を明示した。「日本モデル」には国民の責任はあっても、政府の責任はないようだ。