追加配布8000万枚を契機に、アベノマスク(布マスク)が再び脚光を浴びている。「予算の無駄遣い」、「もっと有効な対策に予算を回すべき」、「配布するなら不織布に変えるべき」など、国民の真摯な声が政権に届くことはない。国民の声が政権に届かない現実は、無駄遣いといった現実的な問題以上に聞く耳を持たない政権に対する“恐怖感”にもつながる。政権が一旦決めたことは何がなんでも動かさない。権力の横暴に似た独善性だ。特別定額給付金(10万円支給)やGo Toキャンペーンは二転三転、掌返しのオンパレードだった。その政権が、どういうわけかアベノマスクに関しては執拗以上に頑なだ。裏に何かあるのだろう、勘ぐりたくなるのは自然の流れだ。

安倍首相の側近の一人である通産官僚が発案したとされるアベノマスク。国民一人二枚配布以前に養護施設や看護師、医療位機関への配布が第1次補正予算で決まっていた。この時は与野党が事前に調整した結果、審議時間を短縮し全会一致で予算案がスピード成立した。今は反対している野党も賛成に回っていた。予算が通れば遅滞なく執行するのが政府の責任である。折からのマスク不足が社会問題になっていたこともあって、医療機関などへの配布に反対する声はほとんどなかった。それに味を占めたわけではないだろうが、政府はその次に全世帯を対象に二枚のアベノマスクの配布を決めたのである。やることなすこと後手後手だった政権が、アベノマスクに起死回生の逆転ホームランを期待したのは分からないでもない。問題は誰も使わない(使えない)マスクに、こだわり続ける政権の姿勢だ。

安倍首相は国民の声に反発するように、いまでもたった一人アベノマスクを着用している。偏執狂にちかい執着心だ。初志貫徹という言葉もある。政治家として初志を貫くことを批判するつもりはない。問題は相手が未知なるウイルということだ。何が飛び出してくるか分からない相手に、思い込みで対応すること自体が“危険”だ。未知なる敵には変幻自在、弱みを狙って臨機応変に戦術を変えるのが常識だ。まして専門家も国民の大多数も無用の長物と烙印を押している。そのアベノマスクにここまでこだわる安倍首相、政権、側近、一部官僚。行政府そのものが適応能力を失っているような気がして仕方がない。今朝のニュースをみると政府はようやくアベノマスクの配布延期について検討をはじめたという。何もかもが後手後手だ。