スウェーデン王立科学アカデミーはきのう、2020年のノーベル化学賞を遺伝子の編集技術を開発した米仏の2氏に授与すると発表した。受賞したのはフランスのエマニュエル・シャルパンティエ氏(51)と、米国のジェニファー・ダウドナ氏(56)の2人。受賞対象となった技術は、「クリスパー/キャス9(CRISPR/Cas9)」と呼ばれる。規則的に配列された遺伝子の中から必要な塩基配列を探し出し(クリスパー)、それをハサミのように切断する(キャス9)。切断したあとに別の遺伝子を組み込むこともできる。医療や農作物の改良など、生命科学全般で広く応用できる画期的な技術で、以前から高く評価されていた。いま世界中でこの技術を使った応用研究が行われている。農作物や魚類の中にはすでに実用化しているものもかなりある。受賞のニュースを聞いて納得する一方で、課題というか問題点というか、ゲノム編集にまつわる様々な思いが頭の片隅をかけめぐった。

テレビでみたジェニファー・ダウドナ(56)氏は、「クリスパー/キャス9」を説明する際に、香りが強い真っ赤な薔薇に大きな棘があるという現実を一つの例に挙げていた。この薔薇から棘を取り除けば、収穫や搬送、家庭での飾り付けが簡単にできるようになる。飽くなき利便性を求めるこれが人類の持って生まれた探究心なのだろう。この薔薇から刺を取り除くツールが「クリスパー/キャス9」である。遺伝子を組み替えることによって刺なきバラの子孫にも棘がなくなる。かくして人類はこれから先、香りが強くて真っ赤に咲き匂う刺なしの薔薇を愛でることができるようになる。未来の人類は薔薇には棘がないものと思うようになるかもしれない。進化とはそういうものかもしれない。中には棘のない薔薇は薔薇ではないと主張する人もいる。そういう人にとってゲノム編集は、それ自体が危険極まりない邪道ということになる。すでに一般化しているゲノム編集にまつわるこれが争点の一つだろう。

植物や動物ならまだいい。中国の科学者はゲノム編集を使ってエイズ患者の受精卵を操作、エイズにならない双子の子供を作り出した。これは数年前のことだった気がする。この時は世界の科学者が倫理にもとると批判の声をあげた。科学技術の進歩に国家を挙げて取り組んでいる中国政府も致し方なかったのだろう。この科学者を厳罰に処している。有効な技術も使い方を間違えれば人類の脅威になる可能性があるという例証でもある。経済的にも未解決の問題が残されている。「クリスパー/キャス9」は安価で使い勝手が良いことから世界中の研究者が使っている。半面、莫大な利益を生むと見込まれているこの技術の特許をめぐって、長期間にわたり果てしのない裁判が続いている。当事者の一人であるダウドナ氏がノーベル賞を受賞したことで、この裁判にどんな影響を及ぼすのだろうか。ゲノム編集は無限の可能性と同時に人類の未来を左右する“未知”なる争点も内包している。