けさ日本中が怒っている気がする。昨年4月、池袋で高齢者が運転する車に松永真菜さん(当時31)と長女の莉子さん(当時3)母子が跳ねられ死亡した。この悲痛で悲惨な事件の初公判がきのう開かれたのだ。車を運転していたのは飯塚幸三被告(89)、旧通産省工業技術院の院長を経験した元キャリア官僚である。死亡した2人の他9人が負傷している。自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)罪に問われた。その被告が初公判でなんと「無罪」を主張したのだ。無罪の主張がけしからんといっているわけではない。その論拠としてあげているのが「アクセルペダルを踏み続けたことはないと記憶している。車に何らかの異常が生じ、暴走した」(時事ドットコム)と主張したことに、ものすごい違和感を感じるのだ。罪の意識は皆無。まるで他人事だ。

検察は冒頭陳述で「昨年3月中旬の点検でブレーキやアクセルペダルの異常は確認されなかった」と主張している。目撃者も当時、「ブレーキランプが付かなかった」と証言している。ペダルの異常を示す故障記録も残っていない。だがいまは被告の主張に信用性がないと断言することはできない。個人的には新車で購入した車が簡単に故障するはずがないと思っているが、そこは裁判長の判断を待つしかない。問題はそこではない。被告は冒頭で被害者の夫である拓也さん(34)に対して「今回の事故により、奥さまとお嬢さまを亡くされた松永様とご親族に心からおわび申し上げます。最愛のおふたりを亡くされた悲しみとご心痛は…思いますと、言葉がございません」(日刊スポーツ)と謝罪したという。なんという言葉遣いだ。「亡くされた」わけではない「お前が殺したんだろう」、わけもなく叫びたくなった。飯塚被告に罪の意識は微塵もない。これが高級官僚の成れの果てか、思わず暗澹たる気分に襲われた。

官僚のすべてが飯塚被告の同類だとは思わない。拙い経験のかなでも優秀で情に熱く、能力の高い高級官僚はいっぱいいた。だが中には、周囲の言葉に耳を傾けず、自分が絶対に正しと思っている人もいた。個人的には優秀で能力の高い官僚に期待する面もある。そんな官僚には権力者や上司ではなく、国民の胸の内を忖度しながら仕事をしてもらいたいと思っている。だが官僚の中にはそうでない人もいる。官邸でアベノマスクを強引に推進した某氏も経産省出身だった。なんの罪もない母子2人の命を奪った事件の責任は「車の異常」と言って憚らない飯塚被告もこの類だろう。自分には罪はない。責任は他にある。この人たちに共通する資質は何か。それは自分が置かれた状況を「俯瞰」できたいことだ。大局に立って謙虚に事態を眺めれば、「いかなる判決も受け入れます」と自然に口から出るはずだ。その一言が言えない高級官僚が増えている気がする。