菅首相と小池都知事がきのう会談。GoToトラベルの発着地から東京都を除外せず、65歳以上の高齢者や基礎疾患を持っている人に自粛を呼びかけることで合意した。正直いってこの程度のことで内閣総理大臣と都知事が直に会う必要があるのか、ふとそんな気がした。と同時に、旅行業者や利用者の間には不満や諦め、憤りみたいな反応がみられた。例えばNHK、都内の旅行会社の声を取り上げている。「すでに予約済みの客の住所は分かっても、複数の人たちで予約した場合、年齢は代表者しか把握していないケースもある」、「65歳で線引きすることを客に納得してもらえる根拠がないと、現場の対応が難しい」など。さらには、「旅行会社が確認する場合には手続きを定めたガイドラインが必要だ」との訴えも取り上げている。

旅行業者の反応は痛いほどよくわかる。お上が明確な理由も示さず方針を示せば、否が応でも従わざるを得ないのが民間の悲しいところだ。変にたてつくと、あとでどんな仕打ちが返ってくるかわからない。旅行客に文句を言われても決まった以上、やるしかない。できればガイドライを示してほしい。そんな心境ではないか。政府も政府なら、都も都だ。高齢者に重症化する人が増えている。65歳以上の高齢者は「Go Toトラベルの利用自粛を」、いつものように自粛要請すればいい。自粛要請に罰則規定はないはずだ。新型コロナの対策を巡ってメディアは「対策が二転三転している」と批判する。取り立てて政府の肩を持つわけではないかが、相変わらず未知なる部分が多い新型コロナである。感染状況が二転三転すれば、対策も同じように揺れ動く。ブレない対策など最初からどの国にもない。

少し前にヨーロッパの建築が専門の大学教授の話を聞いたことがある。観光地にある古い建物は高さが一定だったり、外観が似通ったりしているが、日本でいう建築基準のようなものはないそうだ。建築工法が同じだから外観が似る。それだけのことのようだ。ヨーロッパにはいまだに統一的な基準はなく、地域の実情が優先されている。日本はなんでもガイドラインやマニュアルに落とし込む。それが逆に強靭化を損なうこともある。どちらがいいとか悪いといことではない。強風を受け流す柳のような、あるようでないような、それでいて強靭な感染対策。地域の特性に鑑みながら地域の首長が判断し、国がさりげなくバックアップする。そんな対策は打てないものか。高齢者への自粛要請のために総理と都知事がわざとらしく会談する。これも一種の“マニュアル政治”のような気がする。