新型コロナ対策として発令されている緊急事態宣言を予定通りに7日に解除するかしないか、ここ数日、メディアの報道はこの一点に絞られている。これも一つの同調圧力なのだろうか。論点がいくつもあるわけではない。連日発表されている感染者の数に関して、「減少傾向が鈍くなっており、解除後のリバウンドが心配だ」というものだ。1都3県の知事が今日会合を開き、宣言を再々延長するよう政府に要請することを決めるようだ。期間は2週間程度と報道されている。想像するに昨夜、各社メディアの記者が夜遅くまで取材に奔走し、「延長要請」に傾いている各知事の本音を確認したのだろう。余分なことだが、メディアの働き方改革は日が暮れてなお遠し、の印象を受ける。要請を受けて菅首相は延長を決断するのだろうが、この程度のことを“総がかり”で取材・報道することに何ほどの意味があるのだろうか、再び余分なことを考えてしまう。

たしか1月に緊急事態宣言を発動するにあたって政府は、宣言を解除する目安を公表していたのではないか。「感染者の数が1日あたり500人程度まで下がること」、これが一つの目安だったと記憶する。当時は1日にあたり1000人を超すような事態が続いており、最悪時には2000人を大幅に上回っていた。感染者が500人まで下がるのは並大抵のことではないと、その当時は考えていた。その感染者が昨日は東京都で232人、神奈川県で84人、埼玉県で102人、千葉県で87人まで減った。1か月間にわたった緊急事態宣言の延長で目覚ましい効果を上げた。時短要請を受け入れた飲食店関係者をはじめ住民、市民、国民の並々ならぬ努力が功を奏した結果だろう。そんな努力の甲斐もなく1都3県の知事と菅政権は、国民の努力を無視するかのように宣言の延長を決めようとしている。

サッカーでいえばシュートを打とうした瞬間にゴールポストを後ろに下げるようなものだ。マラソンならトラックを周回してあと100メートルというところで、ゴールテープをはるか先にずらしてしまうことに似ている。ルール設定者の信用はガタ落ちするだろう。「万全を期して」、感染者が100人を切れば「ウイルスのコントロールがしやすくなる」。専門家の主張はそれなりに説得力があるような気がする。だが、こうした発言のどこにも専門的知見を読み取れないのは私だけだろうか。宣言の発動以外にウイルスをコントロールする方法がない、専門家は自らの努力不足を晒しているようなものだ。せめて「申し訳ない」の一言でもあればまだしも、ルールを変えることが専門家の知見だとすればそれはそれで悲しいことだ。ゴーゴーたる批判を覚悟で菅首相が宣言解除に踏み切れば、私はたった一人でもその決断を支持しようと思う。