中国の習近平主席が最近頻繁に使う言葉、それは「共同富裕」だ。ブルームバーグ(BB)が昨日配信した「習近平主席の『共同富裕』言及が急増-中国の裕福な層への警告か」と題した記事によると、「昨年の演説と会合で共同富裕に30回触れたが、今年はこれまでに既に65回言及している」という。よくも調べたものだと感心するが、それ以上に資産格差の是正に執念を燃やす習主席の粘着質というか、これでもかこれでもかと繰り返す拘り方に、ある種の空恐ろしささえ感じる。社会主義にあって人民の資産や所得は均等でなければならない。共同富裕が大前提だ。「共同富裕」という考え方から逸脱した大金持ちは肝に命ずるべきだ。中国はこれから強烈に格差是正に取り組むという宣言かもしれない。いやもう始まっている。IT企業や教育産業に対する締め付けはその一例だろう。

「共同富裕」自体は中国共産党の党是みたいなもので、習主席も就任当初から折に触れて言及していたようだ。その言葉の使用回数が最近とみに増えている、その理由は何か。これが冒頭の記事を書いた記者の関心事だろう。何事も単純ではなく、遠回しにはじめる中国のことだ。きっとこの言葉を使う裏には何か目的がある、それはなんだ。記者なら誰でもそう考える。米ジョージア州立大学のマリア・レプニコワ氏は記事の中で次のように指摘する。「スローガンは新たな政策の方向性や変化を捉えるものであることが多く、政策がどのように変化しつつあるか示唆し得る」と。そして、「それらは幅広いことが多く、解釈のあいまいさと調整の余地をいくらか残している」という。「共同富裕」の使用頻度が高ま一方で中国では、アリババや滴滴出行(ディーディー)などIT企業に対する締め付けが激しくなった。ロイターによると中国証券取引所はきのう、上海と深センで40件以上の新規株式公開(IPO)を停止した。

もう一つ気になる言葉がある。「寝そべり族」だ。こちらも中国メディアに折にふれて登場する。BBによるとこの言葉の定義は「学業と労働のプレッシャーに耐えられず、過酷な競争から離脱し、手の届く楽な生活で満足する若者」のことを指しているという。豊かになった中国の若者は怠惰になったということか。年配者が若年層を批判する時の言葉のようだ。「社会主義の理念を新しい時代に引き継ぐ若者は、塾には通わず、オンラインゲームに見向きもせず、著名タレントにうつつを抜かすこともない。宿題は学校で済ませ、習近平主席の選書を毎日1時間読み、10時前には就寝し、率先して家事をし、両親には兄弟が欲しいと言い、子育てを手伝う」(BB)。これが習主席の期待する若者象だ。なんとなく文化大革命を推進した毛沢東が連想される。中国はどこへいくのか、いや習近平は何を考えているのか。これも己の権力基盤強化に向けた戦術なのか、隣国の気になる動きだ。