年末年始、新聞もテレビもほとんど見なかった。ニュースなど見なくても日常生活に何の支障もない。ニュースを生業としてきた身にとっては「いまさら・・・」という気がしないでもないが、それが現実だろう。そんな中で唯一読んだのが元旦の朝日新聞一面トップに掲載された「未来予想図 ともに歩もう」という記事。「未来のデザイン」と題した連載のスタート記事だ。これを読んで昨年が「未来」ブームだったことに初めて気が付いた。このコラムを掲載している私のブログ、タイトルは「ニュースで未来を読む」だ。そんなブログを更新しながら世の中で起こっている「未来」ブームについては、迂闊にもついぞ知らなかった。2021年はコロナに始まりコロナに終わった1年だと思っていた。それはそうだが、その裏で未来を扱った本がバカ売れしていたというのだ。ドリカムのヒットソング「未来予想図」をイントロにして始まるいかにも朝日新聞らしい好記事だ。

ドリカムのボーカル吉田美和は高校時代、授業中に歌詞やメロディーをノートに書きためていたという。その中の一節が未来予想図の元になっている。「ずっと心に描く 未来予想図は ほら 思ったとおりに かなえられてく」(未来予想図Ⅱ)。吉田は高校生の時、大観衆の前で熱唱する自分の未来予想図を思い描いたのだろう。そしてそれは「ほら 思ったとおりに かなえられてく」のだ。吉田が高校生だったのは1980年代初頭、バブルのちょっと前の頃だ。当時、吉田に限らず日本人の多くが自分の未来を楽観的に予想していた。未来という言葉は夢と希望に満ち溢れ、自分の将来を託すに足る代名詞だった。その「未来」がバブルの崩壊で始まった失われた30年を経て、「不安」と「焦燥」に蝕まれ「絶望」へと転落していく。絶望は言い過ぎとしても、明るい夢を拓せるはずだった未来が、坂道を転がり落ちるように転落しはじめたのだ。

朝日新聞によると昨年は、「2040年の未来予測」「未来探究2050」にはじまり、業界展望を載せた「業界地図」など未来本が、かつてなく売れたのだそうだ。そういえば日経新聞の連載企画もタイトルは「成長の未来図」だ。メディアは「不安」を煽りながら、それを商売のタネにしている。浅ましいというべきか。そんな中で朝日新聞は岡山県西粟倉村の「百年の森構想」を取り上げている。未来を切り開きつつある村だ。この構想を主導する道上正寿(71)氏は言う。「目の前に見えとる問題なんてくだらん。もっと遠くを見んと」。未来とは先のことではない。未来という鏡に映るいまの自分や世の中の「思い」というべきだろう。赤字の林業を生業としながら、100年先の林業を構想する胆力。政府の貧素な地方創生を尻目に西粟倉村には活力が戻りつつある。日本には人知れず未来を切り開いている人たちがいる。ちょっとした気づきとともに2022年がスタートした。