最近、経済的な「価値」とは何か、そんなことをぼんやり考えている。経済的価値といえばアダム・スミスの労働価値説とかリカード、マルクスの投下労働価値説、剰余価値説なんて小難しい言葉を思い出すが、そんな高尚なことを考えているわけではない。そんな能力も知識もない。個人的な経験でいえば、たとえば森林の価値。森林には建材用の丸太を生産するという市場価値のほかにCo2を吸収したり、保水機能を生かした水源としての価値、防水・防災とった環境保全価値、もっといえば屋久島の縄文杉のように観光資源としての価値など、多様な価値がある。だが、こうした価値のうち経済的な価値と見做されているのは丸太の生産機能と観光資源ぐらいのもの。大半の価値は付加価値の合計であるGDPには計上されない。それはまるで主婦の家事労働が付加価値と見做されないのと同じだ。

身近な生活の中にも価値のあるものはいっぱいあるのではないか。そんなことを考えているときにこの記事が目に止まった。多少古い記事だが「Yahoo!JAPAN SDG’s」に掲載された「『自分も他者も儲けて、海も守る』売れないローカル珍魚を売って漁業もする魚屋」(2019.11.14)という記事だ。ちょっと長い記事だがかいつまんでいうと、京都市に本拠を構える「食一」というお魚屋さんのサクセスストーリーだ。創業から10年(2019年当時)「関係を持っている港が200カ所くらいで、魚を卸している店舗が500……チェーン展開しているお店もあるから厳密には1000店舗くらいかな」、この会社の代表を務める田中淳士氏の成功物語だ。このお魚屋さん(食一)の原点がすごい。漁師が普段市場価値がないとして捨てている未利用・低利用の魚に、希少価値のある“珍魚”としてフォーカスしたことだ。(興味のあるひとはリンクをクリックしてください)

田中氏はいう。「安定しないものが価値になると気づいた」。「ローカルで獲れる魚のなかには、年間を通じて安定した数が取れないとか、知名度が低いために市場価値がつかないものがたくさんある。そうした消費される機会に恵まれない未利用魚・低利用魚に珍しさという価値をつけて売り出す。食一の特色は未利用魚・低利用魚を活かすことだと」。これが起業の原点である。見捨てられていたもの、一見市場価値がないと見做されていたもの、そこに計り知れない価値を見出したのだ。いわゆる逆転の発想だろう。成功の裏には田中社長のエネルギッシュな労働の投入があることも見逃せない。だが、これは単なる労働価値説ではないような気がする。それは何か。労働力プラス柔軟な発想力、決めたことをやり抜く精神力など様々な要素があるだろう。身近な生活の中に眠っている価値、見えない価値を掘り起こす力。それもSDG’sや経済成長を支える要素かもしれない。