ロイター通信が20日に配信した記事、「焦点:ウクライ侵攻による正教会の混乱、孤立するロシア総主教」は示唆に富んだ解説記事だった。宗教についてなんの予備知識もないが、想像し空想を交えながらこの記事を読むと、プーチンのロシア侵攻の背景と停戦に至る道のりの険しさがわかる気がする。ロシア正教会の総主教であるキリル氏(75)はプーチンの盟友である。今回のウクライナ侵攻に「高らかな祝福」を与えているという。この人は元々宗教界の超保守派。西側諸国は「同性愛の受容を中心に退廃的である」と批判しており、今回の進行はこうした西側への“対抗手段”と解釈しているようだ。旧ソ連邦の復活をめざすプーチンも共産主義者というよりも、時代遅れの強権主義者。ノスタルジックに魂の奥深くで二人は共鳴し合っている。プーチンにとっては“心の支え”といったほうがいいかもしれない。

記事によるとこの二人を結びつけているのは「ルースキー・ミール」という言葉だそうだ。日本語に訳せば「ロシア的世界」。「旧ソ連領の一部だった地域を対象とする領土的拡張と精神的な連帯を結びつける構想」とある。なんのことはない。軍国主義に支配された戦前の日本の支配層が共有した「大東亜共栄圏構想」ではないか。当時日本は領土的拡大と「八紘一宇」という精神的な拠り所をベースに、周辺諸国に侵略戦争を仕掛けた。プーチンの仕掛けた戦争と瓜二つだ。その裏で軍隊と宗教ががっちりと手を握っている。まるで戦中・日本のデジャブーだ。当時日本にも戦争反対の良識派はいっぱいいた。だが、“特高”という権力警察が有無を言わさず良識派を圧殺した。いまロシアで展開されている戦争反対派に対する締め付けと、これもまったくの瓜二つ。権力が狂うと、時代を超えて同じことをするのかもしれない。

問題は日本の軍国主義が広島と長崎に落された原爆によってしか解体されなかったことだ。プーチンはいま、無差別殺戮に手を染めている。西側の支配層はロシアが化学兵器を使用する可能性に強い危機感を抱いている。プーチンが核抑止部隊に「管理レベルを引き上げよ」と命令したのはウクライナ侵攻の4日目、2月27日のことだ。連日報道されるマリウポリの悲惨な状況を目にすると、プーチン一人を止められない現実の世界情勢に、いかんともし難い「割り切れなさ」を感じる。ウクライナにいる多数の無辜の市民が、意味もなく虐殺されていく現実を見過ごしていいのか、第3次世界大戦の誘発を懸念するバイデン大統領の“大局観”は正しいのか。力の行使はより多くの犠牲者を作り出す。だから少数の犠牲者は無視するのか。答えの出せない疑念が頭をよぎる。「目には目を」、「軍事力には軍事力を」。人類はいまだに力による抑止力しか手にしていない。