プーチンによるウクライナ侵略の非情で無情で悲惨な状況を見ていると、平和な暮らしを維持していくことがいかに難しいか、遠い他国の出来事ながら、あることないこと邪念が頭を駆け巡る。きのう開かれた憲法審査会もその一つ。個人的には憲法改正すべきだと思っているが、憲法審会はもう何年堂々巡りしているのだろうか。現行の平和憲法を守れという人たちの考え方を否定するつもりはないが、国際社会は日々変動し、揺れている。平和憲法を守ることで平和が維持できるなら、全力をあげて平和憲法を守るべきだろう。だがそれで憲法は守れたとしれも、国民の平和は本当に守れるのだろうか。ロシアの侵略で犠牲になった無辜の民を見ていると、敵の強大な軍事力に対抗する「力」が必要になるような気がして仕方がない。もちろん「力」の源泉は軍事力だけではない。だが、軍事力もその一つであることだけは間違いない。

きのうの憲法審査会で元立憲民主党、現在は自民党に鞍替えした細野豪志氏が、緊急時の国会議員の任期延長を可能とする憲法改正の必要性を訴える場面があった。訴えた相手は立憲民主党の奥野総一郎氏。細かい内容は省略するが、報道によると細野氏は東日本大震災の教訓を例にとりながら、憲法改正の必要性を強調したとある。立憲主義を建前とする立憲民主党は平和憲法擁護で一貫している。緊急時対応は現行憲法のもとで可能という立場だ。憲法というのは事細かくあらゆる事象について規定しているわけではない。解釈によって多くのことが可能になる。とはいえ、原則的な考え方は憲法にきちっと明記すべきだろう。例えば結婚。憲法24条には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し(以下略)」と記されている。両性とは普通に読めば男性と女性のことだ。この条文はLGBTの時代にそぐわない。「両性」を「両者」に変えるだけで、憲法は時代にマッチしたものになる。

こういう事例は探せばいくらでもあるだろう。憲法審査会が何を議論しているのか、全容を把握しているわけではない。個人的には憲法が放棄した「戦争」は、戦前の日本が行った「侵略戦争」であり、第三国からの侵略に伴う「防衛戦争」は禁止していない。だから「武力による威嚇又は武力の行使は、(略)、永久にこれを放棄する」と定められていても自衛隊が存在しているのだろう。ついでながら、敵基地攻撃能力も「防衛戦争」という条件のもとで許されることになる。もっとわかりやすくいえば日本は未来永劫ロシアにはならないが、一旦ことあらばウクライナのように果敢に戦うということだ。国会議員が己の信念に基づいて行動するのは当然だと思う。憲法改正に賛成する者、反対するもの、両方あっていい。だが延々と議論を続けることに意味はない。そろそろ国民の判断に委ねたほうがいい。