送迎バスで園児の人数を確認するのは、乗車時であれ降車時であれ、当然のことではないか。規則があろうが、なかろうが、小さな子供の命を預かる仕事。どうしてこんな当然のこと、常識的なことが無視されてしまうのだろうか。何十人も園児がいたわけではない。小さな送迎バスに乗っていたのはたった6人。70代とはいえ園長(臨時ドライバー)と子供の見守り役である派遣社員、大人が2人いた。目をつぶってあえて見ないようにでもしない限り、乗った人数より降りた人数が少ないような漠然とした印象を、直感的に感じるのではないか。6分の6と、6分の5の違いは、大型バスの45分の45と、45分の44との違いより遥かに大きい。静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」で起こった熱射病による幼児死亡事件に関する報道を見ながら、そんなことを感じてしまう。

規則や行政指導に意味がないといっているわけではない。五感で感じる普通の感覚が働かない社会、そんな社会が目の前に横たわっている。永岡文部科学大臣はきのうの記者会見で今回の事件について次のように語っている。「断腸の思いだ。とても悲しい。昨年の通知は一体なんだったのか。再発防止に努めなければならない」と。昨年の通知というのは福岡県中間市で起きた5歳児置き去り事件のことを指している。今回の「川崎幼稚園」と同じ事件だ。この時は5歳の男の子が送迎バスの中に9時間放置されていた。これを機に文科省は再発防止に向け関係者に通知を出している。中身は(1)園児の出欠確認と関係者による情報共有(2)送迎バスを使用する場合は①運転手+補助員の同場②乗車時の人数確認と座席確認③降車時の人数確認④園関係者で全ての情報を共有する。当然のことが当然のごとく幼稚園や保育園など全ての関係者に通知された。にもかかわらず事件は再発した。

「あれは一体なんだったのか」、大臣ならずともそう思うだろう。だが、ここに落とし穴があるような気がする。一片の通知では何も解決しないのだ。この幼稚園、保護者の評判はいいようだ。その幼稚でどうしこんな痛ましい事件が起こるのか。当日、臨時ドライバーを務めた園長は「確認は補助員が行ったと思っていた」との趣旨の話をしているようだ。要するに「思い込み」だ。「通知」を読んだかどうかわからない。いったん思い込んでしまうと、五感も働かなくなる。一片の通知だけで「思い込み」の壁はぶち破れない。行政もそこは反省すべきだ。園長だけではない。担任も他の職員も、この幼稚園のシステムで大丈夫だと「思い込んでいる」。だからアプリ上で出席しているはずの園児が目の前にいなくても誰も疑問に思わない。大人の怠慢でまた儚い小さな命が失われた。これから再発防止策の再検討が始まる。どうしたら五感が働く常識的な社会を取り戻せるのか。問題の根は深い。