「敵基地攻撃能力」の整備に向けた防衛力強化の財源に関してさまざまな議論が噴出している。財源として増税すべきか否か、論戦の焦点はこの一点に集中している。岸田首相は13日の自民党役員会で防衛費増額の一部を増税で賄う考えを示すと同時に、「国民が自らの責任として対応すべきだ」と強調した。これに対して毎日新聞は「国民の責任」、「防衛費増額」、「防衛増税」のワードがツイッター上でトレンド入りしたとの記事を掲載した。「勝手に(増税を)言い出して、すり替えて、責任を国民に投げ込んできた」「国土を守り、その上に住む国民を守る。これが国家、政府の責任」、「(発言の)タイミングも言葉選びもやばいセンスだ」と首相批判が盛り上がっている。一方で、「安全保障政策の大転換なら選挙で問うべきだ」、「国民に問うて、国民が承認したらそうかもしれない」と衆院解散・総選挙を求める声も。防衛費増額の財源について、増税ではなく「国債でいいだろう」との指摘もあった、とある。

首相はこの日の役員会で以下のような発言をした。「防衛力の抜本強化は安全保障政策の大転換で、時代を画するものだ。責任ある財源を考えるべきで、今を生きる国民が自らの責任としてその重みを背負って対応すべきものだ」。役員会終了後、茂木幹事長が記者会見で明らかにした。日本の防衛政策は非核三原則や武器輸出三原則などの象徴されるように、専守防衛を基本にしている。敵基地攻撃能力も専守防衛の一環だ。国民の命を守るためには敵基地から発射されるミサイルを、発射不能にする攻撃力が最大の防衛力であることは間違いない。だがそこには先制攻撃か、事後対応攻撃か、微妙な問題がつきまとう。専守防衛という枠組みから外れる可能性のある敵基地攻撃能力を保有すること自体が、首相が強調する「安全保障政策の大転換」であることは間違いない。だから「国民は自らの責任」として増税を受け入れるべきだと首相は強調する。そうだろうか・・・。

防衛政策の大転換には何よりもまず政権の意識転換が必要なのではないか。これが第1の疑問だ。現在GDPの1%に過ぎない防衛費を5年間で倍増する。これを実施すれば莫大な財源が必要になることは明らかだ。それに備えて政府は内部でどんな議論をしてきたのか。「国民の責任」を問う前に、何よりもまず「政府の責任」が問われなければならない。第2の疑問は「敵基地攻撃能力」が行使される事態というのは、先制攻撃であれ事後的攻撃であれ、戦争状態であることは間違いない。ウクライナ戦争を見るまでもない。戦争になれば敵は戦争犯罪と非難されようが、非情な方法で攻撃してくる。米国の核の傘の下で平和ボケした日本人に果たして、こうした攻撃に耐え得る心の準備はあるのだろうか。国民に増税を求めれば「自らの責任」として、戦時の戦闘態勢が確立するとでもいうのだろうか。命を守るとはどういうことか、増税すれば答えが出るのか。岸田首相に対する国民の不満は募るばかりだ。