ダイソーの創業者である矢野博丈氏が亡くなった。100円ショップというユニークな商売で新しいビジネスを切り拓いた人。そんなイメージを抱いていたが、この人はモノを安く売るというよりは、消費者の微妙な心理を商売に活かしたユニークな発想の持ち主だった。近くのダイソーには時々足を運ぶが、創業者の人となりはまったく知らなかった。今朝、同氏の訃報を伝える「めざまし8」をみながら、実は同氏が独創性に優れた創業者だったことを初めて知った。この種の創業者はいまの日本にはほとんどいなくなった。ダイソーが急成長した秘密は100円均一という「安さ」よりも、豊富な品揃えや新しい商品を次々に投入する経営哲学にあったようだ。成功にいたる道のりは決して平坦ではなかった。だが、ダイソー成功の裏には消費者の心理を見抜く矢野氏の眼力があった。
矢野社長の口癖は「運はつかめ」。結婚を機にいまの名前に改名した。旧名は栗原五郎。性は奥さんの実家、名前は姓名判断で決めた。結婚を機に妻の実家のハマチ養殖業を継いだが3年で倒産。700万円の負債を抱えて夜逃げした。1972年に雑貨をトラックで移動販売する「矢野商店」を創業、その会社が現在のダイソーにつながっている。店舗数は現在国内が約3300店、海外が約2000店。売上高は直近で5900億円弱。矢野氏は一代でダイソーを日本を代表する大企業に育て上げた。日本は1980年代のバブルを経て、90年以降深刻なデフレ時代に突入する。その時代を先取りする見識が矢野氏には備わっていたのだろう。百円均一なら売れる。これまでダイソー躍進の原動力は「安さ」だと思っていた。インフレ含みの最近の経済の中でこの会社は生き残れるのか、人ごとながらそんな心配をしていた。
それが杞憂だったことはけさのテレビ情報ではじめて知った。矢野氏は最初「売れない」ことを前提にした超ネガティブな商売人だったようだ。それを180度転換、「売れる」ことを前提に考え始めたあたりから商売が好転しはじめた。運をつかめの次のモットーは「商い=飽きない」への発想転換。百円均一なら必ず「売れる」。だが消費者はすぐに飽きる。一時的に成功してもあとが続かない。商いを継続するためにはどうしたらいいか、消費者を「飽きさせない」ようにすることだ。新しい商品を次々に投入する。品揃えも豊富だ。ダイソーに行けば何から何まで揃っている。安いことも魅力だが、消費者から見ればいろいろな商品がそこにある。だから当面不用なものまで買ってしまう。だって100円だもん。矢野氏は“安売王”ではなかった。独創的なアイデアで時代駆け抜けた、たぐい稀な経営者だった。
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