先週、国会を舞台に繰り広げられた政倫審騒動をみながら、頭に浮かんだ言葉がこれ。“遺構”だ。ウキペディアによると遺構とは、「過去のある時代に人類により造られた構造物が後世に残された状態、言い換えれば過去人類の活動痕跡のうち、不動産的な事物を指す用語である。(中略)考古学においては遺跡を構成する要素の1つとなる」とある。政倫審は構造物ではないが、要するに古臭くて役に立たないのだ。おまけに遺跡にもなれない。21世紀に、AIが人類の叡智に取って代わろうかという時代に、時代に取り残された遺物をみるような思いがした。岸田首相は「政倫審は国会議員の意向が尊重される仕組みになっている」と強調する。非公開を条件とする議員がいて当然。自民党総裁として強制はできない、できるのは出席を促すだけだと。この人、国会の何たるかを全くわかっていない。国会とは国民に開かれた議論の場である。オープンが当たり前だ。

国会議員というのは、自分に都合の悪いことは拒否できる特権を持っている人たちを指すのだろう。自民党の国会議員には特にこの傾向が強い。政治活動費は非課税で、政治資金規正法に違反しっても罪は問われない。挙げ具の果てに正々堂々と脱税ができる。不正を犯した議員に対する懲罰すらない。政治資金を隠蔽して裏金にする。それがバレたら修正・訂正すれば許される。後ろめたいことをやっているという感覚すらない。与野党の調整が難航する中で、出席を「促していた」だけの首相が、呼ばれてもいないのに自ら出席すると言い出した。驚天動地だ。だが蓋を開けてみれば来年度予算案の自然成立に向けたアリバイづくりに過ぎなかった。そのために能登半島の復興が利用された。これをメディアが大々的に喧伝する。能登半島の悲劇は予算ではない。カネはある。予算の執行がうまくいっていないのだ。この責任を誰も問題にしない。岸田首相には物事の本質を見抜く眼力がない。

遺構の次にイーロン・マスク氏のX(旧ツイッター)への投稿が頭に浮かんだ。同氏は日本時間2月29日夜、「もし何も変わらなければ、日本は消滅するだろう」と書き込んだ。さすがマスク氏。先見の名がある。日本が消滅するのは自然災害でも人口減少でもない。政治の何たるかをわきまえない政権が日本を牛耳っていることによる弊害によって、日本という国は音もなく静かに消滅に向かうのだ。政倫審騒動の無残な実態がそのことを見事に証明した。来年度予算の早期成立は、能登地方の復旧・復興に絶対必要というのも嘘。嘘の上に嘘を上塗りしたシナリオで政権維持を図ろうという、岸田政権の見苦しくも無残な足掻きというしかない。ちなみにマスク氏の日本消滅論は人口の減少を理由にしている。政倫審騒動にみる政治の劣化は、人口減少よりはるかにたちが悪い。人口減少には、例えば移民政策の変更など目先的な代替策はある。だが、政治の劣化には効果的な対応策がない。人口減少よりはるかに深刻だ。

当サイトから“ソフトバンク光”お申し込みでおトクに開始♪【ソフトバンク光】