経団連は昨日開かれた正副会長会議で、2021年春に入社する新入社員から就職活動の指針を廃止すると発表した。これにより経団連の指針に基づいて設定されていた新卒学生に対する企業の就職説明会や面接の解禁日が廃止される。これに代わって政府が未来投資会議で新たなルールを取り決めることになるが、政府が制定するルールはおそらく拘束力のない参考程度のものにとどまるだろう。経団連が就活指針を定めても“青田買い”もどき採用が後を絶たなかった。経団連に所属しない企業はこのルールに縛られないという不公平さもある。大企業の中には外資系企業の方が有利だったとの不満もある。それ以上に、就職の入り口で大騒ぎする日本の慣習こそこの際廃止すべきだ。労使ともに就職後の転職がスムーズに行えるような、適材適職に向けた環境整備に意を用いるべきだ。

 

就職活動に止まらず日本の制度や政策は内実が伴っていない気がして仕方がない。例えば、最近読んだ「『女性活躍に』に翻弄される人々」(光文社新書)で著者の奥田祥子氏は、「女性の生き方をひとつの型にはめようとするかのような、社会の風潮が彼女たちの苦悩にさらに拍車をかけようとしています」と指摘する。政府が女性活躍社会を声高に叫ぶ裏で、推進力となるべき能力ある女性たちが苦悩する日常を送っている。大多数の国民が共感する政策の裏で、多くの女性が困惑しているのである。言葉を変えて言えば、表面的なスローガンと実態が乖離しているのである。経団連の就活ルールもこれに似たところがある。これを廃止することに関する是非論はいろいろあると思う。ただ、個人的にはこうした是非論の多くが就職問題の入り口論にとどまっていることに、どことなく違和感を感じるのである。

 

自分にとって適職を見つけるというのはそんなに簡単なことではないと思う。いくつかの職業を経験して初めて適職を見つけることができるというのが、職業選択の本来あるべき姿ではないだろうか。もちろん、小さい時からプロ野球選手になると決めている人もいるだろう。人生、ひとそれぞれだ。就職を目指す学生にとって必要なのは、就職したあとに、その職が自分に合わないと思った時の転職の自由だ。就職活動で本当に大事なのは入り口論ではない。自分に向いている職業に出会える環境だ。それが整備されていないから多くの学生が入り口論にこだわる。例えば労働組合。単一労組から職域労組に転換すれば、転職はいまよりも簡単になるだろう。入り口論よりも適材適職を実現する労働市場の充実こそが大事だと思う。どこでもいいから「とりあえず入社しておく時代」、そんな時代が遠からず来ることを期待したい。