“悲劇”と書くとちょっと行き過ぎかな?タレットの熊田曜子さんが5歳と3歳と4ヶ月の子供を連れて児童館に行ったら、「大人1人に子供は2人までです。3人だと入れません」と入館を拒否されたのだそうだ。この話を自分のブログで紹介したらネット上で賛否両論が巻き起こり、議論が盛り上がっているという。今朝、一部のメディアがこの問題を取り上げていた。個人的には朝食をとりながらテレビの情報番組で知った。この話を聞いた途端、「なんと狭量な児童館なのだ」と最初は思った。私と同じ感想を持った人は結構いると思う。これに対してネット上では「ルールは守れ」とか、「もし事故が起こったら誰が責任を取るの」とか、熊田さんの行為自体に対する批判が結構あったようだ。

少子高齢化が大きな問題となっている。子供を大切にする社会であって欲しいと思う。ルールはルールとして、児童館にいる職員の裁量とか熊田さんというより3人の小さなん子供を連れている母親に対して、児童館はもう少し配慮してもいいのではないかという気もした。だが、この番組のコメンテーターが以下の趣旨の発言をした。「この話をきいた人の中にネットを通じたり、区長とか行政の上層部に直接『不公平ではないか』といったクレームを言う人がいたりすると入館させるとか、させないということよりも、そっちのほうが大きな問題になってしまう。結局、区も児童館も頑なにルールを守るしかない」と。なるほど、そういう要素もあるのか、テレビの情報番組を見ながら珍しく納得した。これは情報過多のネット社会がもたらす弊害の一つかもしれない。

ネット社会が進展すると多様な人が多様な意見を受発信するようになる。すでにそうした社会は始まっている。フリージャナリストの安田順平さんが解放されれば、ネット上で安田さんに対する自己責任論が蔓延する。こうした現状を取り上げてメディアが情報をキャリーすれば、フェイクやフェイクもどきの情報が瞬く間に世間に喧伝される。ネット上で沸き起こる批判がそれに対する反批判を呼び起こし、批判が批判を呼ぶ騒動に発展する。これがいわゆる“炎上”だろう。この騒動を沈静化させる手段はほとんどない。時間が経過して、多くの人がその出来事を忘れることを待つ以外に沈静化策はない。情報過多社会では一つ一つの情報が正しくても、それが集まると大きな弊害を生み出すことがある。アナグロ社会はこうした弊害を周囲にいる人たちの“寛容さ”で補ってきた。デジタル社会でどうやったらこの“寛容さ”を引き継ぐことができるのだろうか・・・。