◆肖 敏捷◆

 中国経済といっても、国土が広く地域格差も激しいため、かなり漠然としたイメージしか浮かばない。だから、足元の中国経済が良いのか悪いのかは、おそらく一番答えにくい質問であろう。こういう場合、沿海部と内陸部、都市部と農村部、国有企業と民営企業など、議論の対象を絞れば、判断の精度が少し上がるかもしれない。

 中国経済に関心のある企業や個人にとっては、沿海地域や都市部が比較的なじみやすいかもしれない。中国進出に際して、ほとんどの日系企業が集中する沿海部は、所得水準が高いため、家電や化粧品、自動車などの市場としての注目度が高い。

 また、直行便など日本からのアクセスが便利で、ヒト・モノ・カネの交流がしやすく情報も多い。例えば、先日、東京の帝国ホテルで開催された「広東・香港・マカオ大湾区(グレーターベイエリア)シンポジウム」は、参加者が1000人を超える盛況ぶりだった。

◇注目高い沿海部、未知の世界の内陸部

 一方、内陸部については、いくつかの大都市を除いてほとんどの日本人にとっては依然未知の世界かもしれない。私の実家がある陝西省の西安は、北京や上海などに比べれば小粒だが、一応約1000万の人口を抱える西部地域屈指の大都市だ。

 10数年前に東京の資産運用担当者数名を引率し、西安を訪問したときのこと。事前の打ち合わせで、謙遜の意味を込めて「田舎なので何もない」と言ったら、初めて中国を訪れた某ファンドマネージャーはなんと東京から「カロリーメイト」を持参してきた。いうまでもなく、フルコースの西安料理を目の前に、「肖さんに騙された」と怒られたが、情報収集量が最も多いはずの資産運用担当者ですらこの程度の知識なので、中国の内陸部に対する一般の人々の関心が低いのは当然のことだ。

◇西安近郊の観光地で「目からウロコ」

 実は、上記のファンドマネージャーを笑う気はまったくなく、内陸部出身の筆者ですら本当に内陸部のことが分かっているのか、とりわけ農村部のことが分かっているのか、全然自信がない。大学入学をきっかけに内陸部からどんどん遠ざかり、仕事を始めてからも沿海地域ばかりを回ってきたためだ。

 たまに帰省で内陸部へ行ってはみたものの、農村地域に足を踏み入れるチャンスがほとんどなかった。従って農村部と言えば、若者たちが出稼ぎに行ってしまって空洞化が進み、所得水準やインフラ整備は都市部に大きく遅れ、貧困かつ不衛生といった先入観があることは認めざるを得ない。

 しかし、4月上旬、法事のため西安に戻った筆者は、従弟の案内で西安近郊の農村を見学するチャンスに恵まれた。この見学は、筆者にとってショッキングなことで、中国の農村部、あるいは中国経済の今後を考えるさまざまなヒントを得ることができた。筆者ですら「目からウロコ」だったため、おそらく初耳の読者も少なくないはずだ。

 西安から高速道路を約1時間走り、たどり着いたのが、「袁家村」だった。名前だけなら、どこにでもありそうなごく普通の農村部だが、ここは明らかに違う。村の入口にある駐車場は、東京周辺のテーマパークやアウトレットを彷彿させるほどの広さだ。平日だったため、それほどの混雑ではなかったが、従弟によると、土日は駐車スペースの確保が至難の業だという。なぜ西安から、わざわざこんな田舎に多くの人々がやって来るのか。

 袁家村の中に入ると、やっとその魅力が分かってきたような気がした。村内には明朝を思わせる低層の建築が並び、陝西省を代表するさまざまな名物料理のお店やお土産店が並んでいる。これだけなら他の地域や観光地にもよくみられる光景だが、ここは明らかに違う。

 まずは清潔感が溢れているうえ値段も手ごろだ。清潔さに欠け、しかも値段も高い他の観光地と明らかに一線を画すことが意識されている。また、お茶ができるところでは、地方劇の演出や耳掃除など庶民が楽しめるサービスも提供されている。筆者が感銘したのは、物を買おうが買うまいが、どこの店でも店員が笑顔で非常に親切だったことだ。

◇村民出資の「株式会社」で大成功

 一番食べたかった地元の特産品を一通り満喫してからお茶を飲んで休憩したら、目に入ったのが壁に張り付けられたプレートだ。「農民創業平台」というタイトルの下には、氏名、住所、出資金が記されている。店員に聞いてみたら、ここに出店しているのはほとんどが袁家村の村民。この観光地全体が株式会社のような存在で、村民たちの出資によって運営されているという。

 当然、出資分に応じて利益配当されるため、ここで働く者、あるいは出資する者のインセンティブが明らかに違う。例えば、観光客が最も関心を持っている食の安全について、店頭に店主の顔付きの誓願書が掲げられ、違反した場合、この村から追い出される。

 こうした地道な努力によって、地元の食材をベースとしたレストラン街だけのこの観光地が、陝西省だけでなく全国でも知名度が上がり、村の収入もうなぎ登りとなっている。2階建て家屋の庭の前に数多くの外車が止まる別荘街のような村民の住宅地をのぞいてみると、ここが西安など都市部以上に豊かな地域であることがすぐに分かる。

 ここまで読んだら、「ただのレストラン街みたいな観光地だろう、どこがすごいのか」と、ピンと来ない読者がいるかもしれない。袁家村がここまで大成功を収めたのは、時代の変化をうまくとらえたことによる側面が大きいと言える。例えば、都市化の進展に伴い、都市部に住む人々にとっては都市生活がだんだん息苦しくなり、ストレスも溜る「都市病」の克服が悩みとなっている。

 このため、車の普及や道路整備が進むに従い、大都市から離れた農村部まで癒やしを求めに来る都会人が年々増えているが、トイレ、飲食、宿泊について清潔感に欠けるところが少なくないことが、一つのボトルネックとなっている。この点では、日本の基準からみれば袁家村はまだまだ改善の余地が非常に大きいが、中国の中ではおそらくトップレベルに達している。

 ちなみに、日本を訪れる中国人観光客の中では、大都市だけでなく、地方や農村部へ行ってもほぼ同じような清潔さが保たれていることを、日本の一番印象的な点として挙げる人が少なくない。

◇日本企業も農村市場開拓を視野に

 もう一つ、袁家村が全国的に有名になったのはSNSのおかげだ。中国では、「網紅」と呼ばれるインフルエンサーが数多く存在しており、インフルエンサーを通じて袁家村の魅力がどんどん発信されて、客が客を呼ぶ好循環が始まっている。案の定、袁家村を訪れた観光客の中では若者の姿が圧倒的に多かった。

 IT環境では、都市部と農村部の通信格差が取り沙汰されているが、袁家村では、村内のいろいろな場所にWiFiスポットが設置されていて、村民たちは「網紅」たちに完璧な通信インフラを提供することが村の利益にもなることをよく理解している。

 では、筆者にとって何がショッキングだったのか? 一つは農村部に抱いてきた暗いイメージが払しょくされたことだ。いうまでもなく、袁家村はまだ稀なケースで、全般的には農村部の立ち遅れは依然大きな問題だが、農村地域振興の成功モデルとして袁家村は間違いなく注目されるだろう。

 もう一つは、中国の市場開拓といえば、沿海部あるいは内陸部の大都市といった候補地が浮かび上がってくるが、筆者の想定以上に消費の波が、袁家村のような農村地域に広がりつつあることだ。日本企業にとっても農村市場の開拓を視野に入れ始めた方がいいかもしれない。

 「木」を見て「森」を語ることは禁物だが、探せば、袁家村のように都市部以上の豊かさを手に入れている農村地域が数多く存在しているはずだ。沿海地域に出稼ぎ労働者を送り込み荒廃してきた農村地域をいかに振興していくかは、中国経済成長の今後の持続性にもかかってくる。「袁家村」から一縷(いちる)の望みが見えてきた。

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〔筆者紹介〕

AIS CAPITAL株式会社 代表パートナー・肖 敏捷(しょう・びんしょう)

 1964年、中国西安市生まれ。武漢大卒、94年に筑波大博士課程単位修得後、大和総研、SMBC日興証券で、エコノミストとして中国経済や金融資本市場に関する調査研究に従事。2018年から現職。主な著書に「人気中国人エコノミストによる中国経済事情」(日本経済新聞出版社=10年)、「中国 新たな経済大革命」(同=17年)など。