木村花さんの自殺に関連して前回この欄で、無意識のうちに「言葉の暴力」を発する視聴者と、それによって傷つく発信者について考えた。SNSは双方の不信を駆り立てる構造を内包している。これがIT社会の怖さだ。だが、それ以上に怖いものがある。IT社会のそうした構造を利用してコンテンツを製作するテレビ局だ。この問題の最大の責任者は制作者であるフジテレビではないか、そんなことを漠然と考えていた。そんな中、5月29日のプレジデントオンラインに全く同じ主張を展開している投稿を見つけた。「テハラ『木村花さん』の死は、SNSではなくフジテレビの問題だ…悔やむ業界関係者」というタイトルだ。

執筆者は柚木ヒトシ氏、ライターとある。この方は過去にリアリティー番組の制作に関わっていた。その証言だけに番組制作の裏舞台が詳細に語られている。要するにリアリティー番組というのは、編集を施さないで日常生活がリアルに描かれているように見せるための工夫があちこちに散りばめられている、というのだ。想像していた通りだ。番組は巧妙に編集されているのだ。さらに驚くことは、リアリティー番組の出演者はSNSを通じて「あること」「ないこと」を呟くように誘導される。それを偶然見つけたSNSの利用者は、番組の新たな視聴者としてリアルにみえるドラマにはまり、自分のアカウントで感想や誹謗中傷を繰り広げるというのだ。極端なことを言えば番組制作者は、SNSでの“炎上”までも視聴率向上の手段と考えている。

柚木氏によると番組の広報戦略会議では「先週放送回がどれだけSNSで言及されたかを真面目に議論する」のだそうだ。これはフジテレビに限ったことではないだろう。テレビ局の底流を流れている原点のようなものだ。視聴率向上のためには「手段を選ばない」、要するにこれがテレビ局のビジネスマインドなのだ。ワイドショーやドキュメンタリーなど、テレビを見ながら時々感じる不快感の源泉がここにあるような気がする。誤解を恐れずにあえて言えば、テレビ関係者が普通に抱いている感覚は、絵になるあるいは視聴率を稼げる「ヤラセ」だろう。SNSの利用者は知らず知らずのうちにテレビ局の「ヤラセ」に乗せられているのだ。これはITリテラシーでは防げない。テレビ局のビジネスマインドをぶっ壊す必要がる。