やっぱりというべきか、予想通りというべきか、ロシアの野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏は毒を盛られていた。同氏が入院したベルリンのシャリテ病院は24日、ナワリヌイ氏が毒物を盛られていた形跡を確認したと発表した。最初に同氏を収容したロシア・オムスクの病院は、毒物は検出されなかったと発表している。この2つの真逆の説明のどちらを信じるか、答えは明確だろう。今でもオムスクの病院は「毒は盛られていなかった」と主張するのだろうか。われわれからみれば、命の大切さを最も知っているはずの医者が平気で嘘をつく、ここに独裁者が君臨する社会主義体制の許しがたい現実が存在する。プーチンが直接指示したとは思わないが、支配体制のために個人の命を犠牲にする社会、こうした社会を西側で価値観を共有する国の人々は絶対許すべきではない。

ロイターによるとドイツのメルケル首相は、「ロシア野党指導者というナワリヌイ氏の大きな役割を踏まえ、この犯罪の徹底的な調査に至急着手することがロシア当局に求められている。さらに、調査には完全な透明性が求められるとし、関与したものを特定し、責任を追及する必要があると言明した」と伝えている。プーチン大統領はこれにどう答えるのだろうか。いくらプーチンでも、あったことをなかったことにはできないだろう。調査はするだろうが、結果はここでも「やっぱり」と「想定どおり」になるだろう。犯罪者を特定することもなく、ましてや背後でナワリヌイ氏の毒殺を図った組織が炙り出されることもない。真相は永遠に闇の中に葬り去られ、独裁者プーチンは大統領に再選され、権力をほしいままにする。その裏で数多くの心ある市民が犠牲になる。個人や人権よりも、党や大統領が優先される。独裁国家のお決まりのパターンだ。

現時点で断定的なことを言うべきでないことは自覚している。いずれも個人的な推測、憶測にすぎないのだが、それでもこういう事件に接すると権力とはなにか、権力者を批判することの恐ろしさなど、あれやこれや、あることないこと考えてしまう。もちろん事実を歪曲したり、あることをないことにしたり、敵と味方を権力的に峻別するのはプーチンだけではないだろう。習近平も金正恩も似たり寄ったりだ。彼らの方がもっとひどいかもしれない。トランプ大統領だって平気で嘘をつくし、「不都合な真実」をねじ曲げる。これは権力につきものの常套手段でもある。それでも「トランプの方がまだまし」な気がする。少なくともトランプ大統領は調査をするだろう。大統領がやらなくてもF B Iなり警察は捜査権を行使して真実に近づこうとするはずだ。それすら担保されていないとすればロシアの野党指導者は悲劇的だ。