「こんな短時間で決める話じゃないでしょう! 今日の掲載は見送るべきです」

 5月25日夜7時20分から始まった「デスク会」は、荒れに荒れていた。翌日掲載予定の社説を巡り、オンラインで繋がれた全国の部長やデスクらが次々異論を唱えたのだ――。

 東京五輪の公式スポンサーでもある朝日新聞が〈夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める〉と題した社説を掲載したのは5月26日のこと。同時に自社のホームページでは〈オフィシャルパートナーとしての活動と言論機関としての報道は一線を画します〉との見解を示し、スポンサー継続を明言した。

 朝日の中堅社員が語る。

「当初、お客様窓口に届く読者の意見は『よくぞ書いた』という意見が大半でした。ただ、次第に『スポンサーを降りるべき』『夏の甲子園はどうなんだ』という批判的な声も増えています」

 賛否両論を呼んだ「五輪中止社説」。一体、いつから準備されていたのか。内情を知る幹部社員が明かす。

「社説を担当する論説委員室では、今年3月頃から五輪中止を求める社説の議論が出ていた。週に一度ほどの頻度で『書くべきだ』という意見が複数の委員から上がっていたそうです」

 一般には知られていないが、事実を報じる記事が社説によって左右されないようにするため、論説委員室は報道・編集部門からは独立した組織になっている。

空気を変えた5月14日の原稿

「委員は約30人です。平日午前11時から会議を開き、その日に書くべき社説を2、3時間にわたって議論していく。社説の内容は合議制で決まり、編集局長でさえ口出しすることができません」(論説委員OB)

 そのトップが、論説主幹の根本清樹氏だ。東大卒業後、82年に朝日入社。政治部長や「天声人語」の担当などを経て、16年から主幹に座る“重鎮”だ。

「根本氏は『中止社説』に当初から意欲的で、会議でも『社長の了解は得ている』などと言っていたそうです」(前出・幹部社員)

 この「社長」とは、今年4月に就任したばかりの中村史郎氏のこと。東大卒業後、86年に入社。根本氏より4つ年次が下だ。

「政治部出身の中村氏は官僚的なタイプ。14年に起きた吉田調書問題の際は、広告局長でした。あの時、幹部人事に狂いが生じ、中村氏は出世できたと言われています」(朝日ОB)

 社説の執筆者はその都度代わり、五輪関連であればスポーツ部長経験者の西山良太郎氏が執筆を担当することが多いという。84年に入社後、五輪は計7大会取材してきたベテランだ。

「ただ、五輪への思い入れが強いだけに『アスリートのことを考えたら中止なんて安易に言うべきではない』と、当初は中止にまで踏み込むことに否定的でした」(スポーツ部関係者)

 実際、朝日は4月中旬以降、〈五輪とコロナ〉と題する社説を二度掲載しているが、〈五輪のために人の生命・健康を犠牲にすることはできない〉(4月23日付)、〈(開催について)冷静な目で現実に向き合う時だ〉(4月30日付)と、中止の主張を“寸止め”していた。

 ところが、そんな論説委員室の空気を一変させる原稿が朝日に掲載される。5月14日のことだ。

「朝刊のオピニオン面にこの日、山腰修三慶応大教授が〈五輪開催の是非、社説は立場示せ〉と題したコラムを寄稿した。これを読んだ複数の論説委員が『社説で書くべきだ』と強く主張し、ある委員は『いま中止の社説を書かなければ、負の遺産として歴史に刻まれる』とまで口にしたそうです」(前出・幹部社員)

 ここから論説委員室は五輪中止論へと舵を切っていく。執筆者はそれまでの流れもあり、西山氏に決まった。5月20日頃には原稿のひな形が出来上がっていたという。この間、論説委員室以外で「中止社説」の存在を知っていたのはごく少数の幹部のみだった。

 そして――。約1週間後の5月25日夕方。何も聞かされていなかった編集局は大混乱に陥るのだ。

 中堅社会部記者が語る。

「今回の社説は、オリパラ専任部長を兼務する社会部長ですら内容を事前に知らされていなかった。その日の夕方に組版(原稿やレイアウトを配置した紙面)を見て、『なんだ、この社説は!』と驚いたそうです」

 冒頭の場面に戻ろう。夜7時20分から始まったデスク会。普段はデスク同士が翌日の紙面について意見を交わす場だが、この日は違った。デスクだけでなく、大阪本社など全国の本社の部長らもリモートで参加し、次々と声を上げていく。

「そもそも、なぜ今日載せる必要があるんだ!」

「社説の中に、朝日が五輪のスポンサーであることを明記すべきではないか」

「取材現場での影響をどう考えているのか」

 議論は次第にヒートアップ。だが、論説委員室の代表として出席していた小陳勇一論説副主幹はほとんどの質問に対し、まともに答えられなかったという。途中で「掲載は今日に拘っていない」と答え、混乱に拍車をかける場面もあった。

「あの会議は何だったのか」

「結局、デスク会では話がまとまらず、26日付紙面の編集長でもある野沢哲也編集局長補佐が『現場からの様々な意見を重く受け止め、論説に伝える』ということで話を引き取り、時間を置いて再度臨時のデスク会が開かれることになりました」(出席者の一人)

 その後、夜8時45分から始まった二度目のデスク会。論説側と協議した編集局トップ、坂尻信義ゼネラルエディター兼編集局長からこう説明があった。

「根本主幹、立野(純二)主幹代理らと話をしましたが、結論としては、『あの社説は組む』と。非常に残念ですが、仕方がない。(論説側は)ああいう社説が出てもしっかり報道して欲しい、ということでした」

 編集局の意見は聞き入れられず、社説は一言一句変わることなく掲載することが決定。スポーツ部長は思わず、こう嘆いたという。

「最初の会議であれだけ異論が出たのに、それが全く受け入れられずに掲載が決まった。あの会議は何だったのでしょうか……」

 夜9時31分、オリパラ専任部長兼社会部長が東京本社の社会部員に「中止社説」の掲載と、デスク会の内容などを記したメールを一斉に送信。これを受け、現場の記者からも「そんな社説を書くならスポンサーを降りるべきだ」「そんなに論説はえらいのか」などと不満の声が上がった。

 が、時すでに遅し。一夜明け、翌26日の朝刊に「中止社説」が掲載され、HPには社の見解がアップされたのだった。さらに同じ日、今年3月期決算で創業以来最大となる441億円の赤字を出したことも発表された。

「巨額の赤字を出した一方で、組織委員会には約60億円とされる協賛金の多くを支払い済みです。それだけに、おいそれとスポンサーから降りるとも言えないのでしょう。最終的には、中村社長の判断で『中止社説』と『スポンサー継続見解』を出すことを決めたのです」(前出・幹部社員)

 朝日に中止を求められた菅首相は周囲に、

「朝日も大変だね。広告主から怒られてるみたい」

 と漏らしたという。

 当事者たちはどう考えているのか。社説を執筆した西山氏に聞いた。

――五輪中止の社説を書くことに当初は反対した?

「申し訳ないですが、個別の取材は受けられないので」

 一方、中村社長はどう答えるのか。電話で直撃した。

――社説について伺いたい。

「私では何も答えられないので、広報にお願いします」

――なぜオフィシャルパートナーと触れなかった?

「広報のほうにお願いします。切らせてもらいます」

 朝日広報に事実関係の確認などを求めたところ、

「社説も含めた報道内容については、朝日新聞紙面や朝日新聞デジタルに掲載したことがすべてです。個別の社説掲載につきましては、回答を差し控えさせていただきます」

 激しい社内バトルを生んだ「中止社説」。スポンサーとしての報道姿勢が今後、ますます注目される。