新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長の発言が波紋を広げている。五輪開催の是非をめぐって同氏は3日、国会で以下のような発言をした。以下は朝日新聞デジタルからの引用(以下同じ)。「普通はない。このパンデミック(世界的大流行)で」、「そもそも五輪をこういう状況のなかで何のためにやるのか。それがないと、一般の人は協力しようと思わない」、「感染のリスクや医療逼迫(ひっぱく)への影響について、評価するのはプロフェッショナルとしての責任だ」。この発言に対しては賛否両論ある。まずは政権を共にする公明党。北側一雄中央幹事会会長が「ご指摘はその通り。菅首相は五輪の意義を国民に改めて説明していただきたい」。自民党幹部は「ちょっと言葉が過ぎる。(尾身氏は)それ(開催)を決める立場にない」とし、「(首相は五輪を)やると言っている。それ以上でも以下でもない」と不快感をにじませた。

野党はもちろんこぞって大賛成である。メディアも多分そうだろう。世論調査では8割が五輪開催に反対している。こうした雰囲気を尾身氏が認識しているかどうかわからない。だが、「普通はやらない」と断言するには恵まれた環境が整っている。個人的には、はっきり言って尾身氏の発言は天井が低いと思う。例えば朝日新聞。5月26日付社説で「五輪中止すべき」との主張を展開した。この間の経緯をめぐる社内の内幕を週刊文春が6月2日号で暴露している。中止を主張する一方で、60億円という協賛金を支払っている関係もあり、オフィシャルスポンサーは降りないと決めている。矛盾している。オフィシャルスポンサーを降りれば、企業からの広告も入らなくなる。前期決算で441億円の純赤字に転落した朝日新聞としては、スポンサー返上の決断はできないのだろう。社説は現場を知らない独善主義の論説室の主張ということになる。文春の記事には現場からの猛烈な反対の声が載っている。

「何のために(五輪は)やるのか」、簡単には答えられない疑問だ。五輪は中止すべきだと思っている尾身氏には明確な答えがあるのだろう。「医療逼迫」「人命」「医療資源の払底」など、ウイルスの根絶に尽力する尾身氏の心の内を多くの人が理解している。だが、私の頭の片隅でいつものように天邪鬼が頭をもたげて喚き立てる。飲食店経営者の「生活逼迫」は考えなくていいのか、「アスリートの人生を踏み躙る権利は誰にもない」、「うつ病や自殺者対策は誰がやる」など、ドスの聞いた声で脅してくる。もっと言えば、世論の8割が五輪中止を求めている、こうした状況が気に入らないのだ。8割とか9割が賛成というのは、中国共産党や北朝鮮の状況に近似している。何をいうのも自由だ。賛否は両論あっていい。だが、世論なるものが一方に傾いたとき、あまり良い結果は生まない気がする。受け入れやすい発言の裏には必ず落とし穴がある。