山腰修三のメディア私評

 10月31日に投開票が行われた衆議院選挙は、与党の絶対安定多数維持という結果に終わった。11月1日の朝日新聞社説は、今後の課題として「言論の府の立て直し」を挙げ、1面のゼネラルエディターの署名記事は選挙後の岸田政権の運営について、安倍政権および菅政権の「負の遺産」を引き継ぐべきではないと注文を付けた。

 山腰修三(やまこし・しゅうぞう)さん 1978年生まれ。慶応義塾大学教授(ジャーナリズム論、政治社会学)。主著に「コミュニケーションの政治社会学」。

 いずれの主張も安倍・菅両政権の総括、とくに両政権下で進展した「政治の劣化」にどう向き合うかが選挙の争点の一つであったことと関連している。安倍・菅両政権は説明責任を十分に果たさず、質問に正面から答えなかった。また、批判や異論に耳を傾けず、科学や学術を軽視した。都合の良い虚偽の言説は放置され、果てには公文書の改ざん・廃棄が横行した。

 こうした状況が、例えばコロナ対応にも大きく影響を与えた点は否定しえない。それゆえ、野党は「まっとうな政治」の回復を主張し、岸田文雄首相も「聞く力」「丁寧な政治」を掲げて政治の刷新をアピールしたのである。

 選挙期間中、「与野党伯仲」状況を作り出すことによって緊張感が生まれ、あるべき政治の姿を取り戻せるのではないかという主張をしばしば目にした。「政治の劣化」の主因が国会での「1強多弱」の構図にあったとすれば、説得力がある。しかし、今回の結果は自民党単独での絶対安定多数であり、この戦略による「政治の劣化」への対処は難しい。

 ジャーナリズムはこうした状況を嘆き、繰り返し批判してきた。とはいえ、ジャーナリズムの自己反省もまた求められるのではないか。「政治の劣化」を生み出した点で、ジャーナリズムにも相応の責任があるからだ。

 メディア研究では、政治報道をジャーナリストと政治アクターの共同生産物と見なす考え方が定着している。記者は政治家とメディア組織との制度化された関係を通じて情報を得る。情報源である政治家は、取材対応を迫られる中で自らの戦略に基づいて情報を提供する。政治報道のあり方は、両者がどのような関係性を構築しているのかが鍵となる。この考え方によると、昨今の記者会見で官邸に主導権を握られ、首相が質問に正面から答えなくても再質問や反論をできない伝統的メディアのジャーナリズムもまた、「政治の劣化」の共犯者ということになる。

 その一方で、このメディア研究の発想に基づくと、政治家と記者との関係をどのように作り直すかが「劣化」した政治を修復する鍵となる。SNSがテレビや新聞を介さずに政治家と有権者とを直接結びつける今日、この考えは時代遅れのものにも見える。しかし、SNS政治の台頭は逆説的に、伝統的なジャーナリズムと政治家との関係性が議会制民主主義にとって持つ意義に光を当てることになる。

 SNSの政治利用は例えば「ハッシュタグ・アクティビズム」と呼ばれるツイッターを用いた社会運動やネット署名活動を活性化させた。しかしそこで生まれる関係性は単一争点をめぐる一時的なものに留まり、議会制民主主義における「政治の劣化」問題への処方箋(せん)となる保証はない。むしろ、別の形で民主主義を深化させるための重要な手段と言える。

 SNSを介した政治家と一部の有権者との関係が「エコーチェンバー」と呼ばれる閉鎖的な言論空間を作り出す場合もある。そこでは自分たちの意見や価値観が絶対化し、外部からの異論や反論を受け付けなくなる。これはSNSが作り出す新たな関係が「政治の劣化」を促進するケースにあたる。

 これらの関係と比べると、伝統的メディアの記者と政治家との関係がいかに特別なものかが改めて分かる。そこでは互いのプロフェッショナリズムの中で持続的な関係性が作られている。「劣化」した政治を修復するうえでこのメリットを生かすべきではないか。

 そこで築かれるべき関係性はもはや従来の習慣に基づく「なれ合い」や一方通行の批判を繰り返すだけの「敵対」ではない。ましてや是々非々という中立を装った「忖度(そんたく)」でもない。緊張感を伴い、ルールに基づく闘技の中でお互いを高め合うような関係性こそが求められている。いわば政治とジャーナリズムの「伯仲」関係である。

 そのためには安倍・菅両政権下における政治報道の「総括」が必要である。政治部によって担われてきた政治報道の慣習やあり方そのものを見直すことも重要だろう。これまでの狭い取材範囲、つまり永田町、あるいは「政治」をめぐる専門家や業界との関係だけでは見えてこない一般の人々の声にも積極的に耳を傾けることが大切である。それが記者の質問力を高め、政治家から真摯(しんし)な説明や対話を引き出す一つの手がかりになるのではないか。

メディアの選挙報道を考える

 今回の衆議院選挙をめぐる新聞報道では、いくつかの特集が印象に残った。例えば朝日新聞の経済面では「日本経済の現在値」という特集が選挙に関連づけて連載された。賃金や働き方の現状を数字で具体的に示しており、現代日本の深刻な状況が改めて浮き彫りになった。こうした試みは評価されるべきである。

 今回の衆議院選挙のテレビでの報道は低調だったという。一方でSNSは大いに盛り上がっていた。選挙がつまらないのではなく、テレビの選挙報道がつまらないということであろう。2017年に英国でBBC「クエスチョン・タイム」の選挙特番を見る機会があった。スタジオに参加した一般の人々が与野党党首に直接質問をぶつけていたのが新鮮で面白かった。日本ではこうした番組制作は難しいのだろうか。