こいう記事を読むたびに身につまされる思いがする。16日付でNHKのサイトに掲載されている。タイトルは「『敬老祝い金』どする?意見分かれる自治体も…いま何が」。いま何が、いわくありげに問題提起するのがメディアのメディアたる所以かもしれない。「お年寄りの楽しみを奪うのか」「いや、子どもへの投資が重要だ」、世代を跨いだ敬老祝金論争がいま全国の自治体で繰り広げられているという。さもありなん。少子高齢化に伴い全国の自治体で財源不足が現実化している。その一端をこの記事は抉り出している。通常は穏やかな市議会。ただその日は違った。市長が提案した敬老祝金廃止案が議論された。反対派は「多くの市民が楽しみにし、感謝される祝い金を廃止することは、決して市民の幸せにはつながらない。行政に対する怒り、嘆き、落胆、不信の声は大きくなり、幸福度は下がる一方です」と声を張り上げる。
これに対して賛成派議員も負けてはいない。「市の将来が危ぶまれる中、将来を犠牲にしてでももらえる5,000円は、高齢者の生きがいになるものでしょうか」。採決の結果、賛成4、反対11、議案は否決された。舞台は秋田県仙北市議会。サイトには両サイドの主張が掲載されている。賛成派(33歳)、「なぜ反対意見になるのかが全くわからなかったので、正直びっくりしました。仙北市はお金がない自治体で、財政調整基金の枯渇が目に見えて将来すぐそこまで来ているという危機感を感じています。子どもの方に投資していくために廃止するということは、未来に向かっていく意味では非常に重要なことではないかと思います」。これに対して反対派(70歳)は以下のように反論する。「これは丁寧に説明することが大事な議案じゃないかなと思います。祝い金の支給年齢をもう少し検討してお互いに見直していければと思いますけど、少し拙速というか、しっかりと話をしていくべきだったんじゃないかなと思います」。
問題はどちらどちらの言い分が正しいか、ではない気がする。過疎化が進む全国の自治体が直面する共通の悩みだろう。75歳を対象とした5,000円の敬老祝金をカットせざるを得なくなっている、そこまで迫りつつある財政難という切実な現実である。課題に直面したら議論を尽くして解決策を探る、地方議会にとっては避けて通れない道でもある。さてどうする?前例もなければ妙薬もない。国に頼っても無理だろう。国とて規模は違うが状況は似たようなものだ。議案を否決された仙北氏の市長が語る。「私どもの拙速な提案もありましたし、さまざまな反省する部分もあるんですけれども、仙北市は『少子化』ではなくて、すでに『少子』状態であると認識しています。次の世代にバトンを渡すランナーがどんどん減ってしまっている状態ですので、なんとか1人でもランナーを増やして地域を存続させていかなければいけないという使命感を私自身抱いています」。簡単ではないと思うが、“地域の存続”にむけて頑張れ仙北市のみなさん。
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