• 皇太子が交代した17年6月までに王室の支持を失い、米国に移住
  • トルコ人のフィアンセとの結婚手続きのためサウジ総領事館を訪れた

サウジアラビアの反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の家系は、今回の失踪事件が起きる前から政治と関わりが深く、中東での存在感もひときわ大きかった。

トルコのイスタンブールのサウジ総領事館に入った後、所在不明となり、サウジ当局に殺害されたとトルコが主張する米紙ワシントン・ポストのコラムニスト、カショギ氏の親族は、実力者と付き合いがあり、同氏自身も申し分のないサウジのインサイダーとなったが、その後王族批判に転じた。

  カショギ氏は、国際テロ組織アルカイダの指導者として知られるウサマ・ビンラディン容疑者との初期のインタビューによって国内で有名になり、サウド王室にその知性と影響力を買われた。しかし、ムハンマド・ビン・サルマン氏が皇太子に就任した2017年6月までに王室の支持を失い、自由が脅かされることを懸念した同氏は米国に移住。影の実力者である同皇太子を批判するコラムをワシントン・ポスト紙に執筆していた。

祖先がトルコ出身とされるカショギ氏の名前は、トルコのメディアでも一定の頻度で取り上げられてきた。元同僚の1人によれば、カショギ氏は民主主義とイスラム教が共存する手本としてトルコのモデルを長く支持していたという。トルコ人のフィアンセによると、結婚に必要な書類手続きを終えるために同氏はサウジ総領事館を訪れ、その後所在が分からなくなった。サウジの王族の命令で殺害されたと疑う向きもある。

トルコのエルドアン大統領の顧問を務めるヤシン・アクタイ氏は「MBS(ムハンマド・ビン・サルマン氏)の権力掌握で新たな時代が始まり、知識人として自分を表現する余地が彼にはなくなった。ジャマル(カショギ氏)は、反主流派の中心と見なされていたのかもしれない」と指摘した。

ジャマル・カショギ氏(9月29日)、写真家:Jehan Alfarra / Middle East Monitor

原題:Khashoggi’s Name Runs Through History of Mideast Power Brokers(抜粋)